小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

真夏の夜の河原の水が

2017年08月06日 | 日記

 

 我慢して読んでいなかった原作マンガ、こうの史代の「この世界の片隅に」下巻を読んだ。半年前に妻への誕生日プレゼントで買い求め、即行読んだらしく私の所にきた。こうなることは承知の透けで、私も集中して上中巻を読了した。ところが、何の風の吹きまわしか、すぐに下巻に手を出すのが惜しくなった。

それで8月6日近くになってから読もうと踏みとどまり、一昨日にふたたび手に取ったわけだ。

原作を読むと、やはり映画にはなかったエピソードや発見がある。こうの史代という漫画家は、下調べも丹念であり、戦争オタクの男顔負けのこだわりをもって、この漫画に取り組んだことがわかる。

下巻だけでいえば、日本の木造家屋の全焼失を目的に、米軍が開発したあの焼夷弾について、初めて知るようなことも図解入りで解説。

ベンゾールとパラフィン混合の「油脂焼夷弾」、3000度もの高温と閃光を放つマグネシウム85%とアルミニウムの混合火薬の「エレクトロン焼夷弾」、遠距離に炎が飛び貫通力も凄い「黄燐焼夷弾」、さらにセルロイド板に黄燐を塗布した「焼夷カード」なるものがあると分かって驚愕した。(5×10cmくらいのカード、乾くと発火するので注意。火箸で鋏んでバケツへ。後でまとめて燃やす。とあるが、存在を初めて知る)

まさしく一般住宅街、民間人(※追記)の大量殺傷を意図した爆弾だ。当時の国際法では人道的な罪は規定されていなかったが、ここまで非人道的な焼夷弾をつくるとは、日本人のみならずアジア人を犬畜生なみに見なしていた証左である(この焼夷弾がベトナム戦争では、ナパーム弾や枯葉剤散布へと威力がより激化した)。

これらの焼夷弾が飛来した際の対処法や被災したときの消火テクニックなど、ネームではあるがきちんと補足説明している。そのほか、呉の海軍が組織として、歴史的にどのように発展してきたかとか、ちょっと女子向けにはどうかなと思われる情報も詳しく書かれていた。


さて、私が下巻を躊躇した理由は、分かる人にはわかるだろう。晴美ちゃんと右手をつないで歩いていたときに遭遇した悲しいこと。掛け替えのない喪った二つのもの・・・。

それが原画で、どう推移していったかを一コマ一コマ確認したかったからである。

やはり映画ほどの説得力はないものの、必要最小限のコマ割ですずさんの根源的喪失が端的に描かれていた。それ以降のあまりの悲痛さ、自分を苛む罪悪感を、作者は情け容赦なくすずさんに背負わせる。淡々と描いているから、深い悲しみがさらに深く・・。やがて、すずさん固有の痛みが、家族や周囲の人たちに共有され、皆で分かち合っていることが伝わってくる。夫の周作も大人しい感じだが、男の強い忍耐を滲み出してきた。

最後のほうになると、広島の被爆と戦後の悲惨さが基調となる。しかし、すずさんの頭のなかは幼い頃や青春時代の愉しい広島の日々、義姉の娘晴美ちゃんと過ごした呉での幸せの日々に染まっている。遠景の愉しき日々に焦点があっているから、凄惨な現実、悲しい近景がぼやけて見えない。老齢になっても、このこみあげてくる切なさはなんともしがたく、微かな慟哭は止まらないのだ。

見てのとおり、こうの史代のマンガは一時代前のアナログの感じで、描画も卓越しているとは言い難い。けれど、そこに清冽なリアリティと時代の雰囲気が見事にマッチングしていて、戦争マンガではあるが、多くの人々に愛される大きな理由となっているのではないか。


あの広島や長崎の、死と焔の記憶は永遠に絶やしてはいけないと思う。多くの小説・詩、歌、絵画などがあろうが、マンガもまた世界の人々に「日本人の祈り」を届けていくはずである。「この世界の片隅に」も、映画とともに二重に連鎖して響きあう魂の反戦画となるだろう。

「この世界の片隅に」のほぼ最後の方には、晴美ちゃんに生き写しかのような孤児と出会い、その児を背負って夫婦で呉の町を歩く美しい見開きカラー頁がある。これを目に焼きつけたいが、個人・家庭内での利用でも厳禁とのことである。残念だが、見ていない方には、ぜひとも買って見てもらしかない。


代わりとはなんだが、原民喜の一篇の詩を載せる。岩波文庫本では原民喜の意志を尊重してのカタカナ表記であるが、私は敢えて自分用に現代カナで表記した。

 

真夏の夜の河原の水が

 血に染められて みちあふれ

 声の限りを

  力のありったけを

  お母さん オカアサン

  断末魔のかみつく声

  その声が

  こちらの堤をのぼろうとして

  向うの岸に 逃げ失せてゆき

(岩波文庫*原民喜全詩集より 原爆小景から)



(※追記)アメリカ空軍の極秘資料が公開されたせいか、今年は新規のテレビ・ドキュメンタリーが多い。アメリカ軍の正規の戦略に基づく精密爆撃(軍施設のみ対象)から、民間人を含む無差別爆撃への大転換した理由が詳らかになった。その根拠になった理由を整理すると、以下の4点ほどになった。
(米軍空軍組織内における個人的野望、個人的気質がおよぼした影響は大きいのだが、ここでは考えなかった)

1. 日本上空には高度1万メートルにあるジェット気流が阻害要因となり、ピンポイントの精密爆撃は困難となる。従って戦争終結は予測不可能となる。
2.日本軍の中国重慶への民間人を含む無差別爆撃は国際法違反である。その恣意的かつ非人道的空爆を繰りかえす日本に対して、同様の手段により日本を早急に敗戦に持ち込むことの国際的支持ができた。
3.婦女子、高齢者等の非戦闘員は日本軍の組織に抵抗なく編入された。彼らは武器製造を支え、さらに軍事訓練を受けて「一人一殺」の殺傷技術を練磨している。従って彼らは「民間人」ではない。
4.日本本土への空爆は、差別・無差別の区分なく、動くものがすべてが戦闘物であり破壊もしくは殺傷する必要がある。すべての戦闘員を生存させる施設、物品もまた破壊・消滅しなければならない。
   
以上が、この8月15日前後に放映された幾つかのドキュメンタリー映像をみて、アメリカの空爆戦略の変遷が自分なりに分かった。その根拠を羅列してみた。

72年経って、過去の資料、あらゆるデータ・情報が公開されている。トランプが大統領になっても、正・不正の価値判断抜きに、過去の遺産のすべてを保全している。その法律とシステムをもっているアメリカは、やはり凄いのか・・。日本には、それに類した見かけの法はあるが、精神のかけらさえなく、個人の自由意思さえも法律で阻まれている。そのことに無頓着な人がほとんどだ。
  
以上の追記は、被害者的な心性に基づいた個人的作業ではない。まして私は戦争未体験者である。家族、近親者の戦争体験についてここでは語らない。

戦争そのものに参加(コミット)することは、望む望まないに関わらず加害者、被害者になる。兵隊・軍属は英霊となり、市井の人は死者だ。これは明らかに「法」と「制度」がつくったものだ。
重慶への無差別空爆だけでなく、旧日本軍による南京虐殺、満州の731部隊の人体実験など、その他多くの非人道的戦争に関与した軍人たちの厖大な肉声証言・証拠がある。揺るぎない客観的事実も各所に多く保存されている。
日本に今もなお、こうした加害事実をねつ造・隠蔽する環境がある限り、戦争で亡くなった御霊は戦慄し続けるしかない。彼らだけしか真実を知り、口にできないのだから・・。
遺された家族といえども、憶測、願望、都合で言葉を吐いてはならぬ。御霊の祈りを、心できいてほしい。

追記が長文になってしまった。年老いた魂に、何がそうさせるのか。黄泉の国からのお誘いか。そうならば心から嬉しい。言葉なしで語り合えるのだから。(日にちを跨いで8月16日、記)



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