小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

貧しくても幸せはあるのか。

2015年04月02日 | 社会・経済

先日、「日本の不平等の行方 ピケティ来日講演を解剖」という朝日新聞主催のパネルディスカッションに行ってきた。
定員の300人は優に集まり、ほとんどが男性中高年層。うち女性は20人弱ぐらいだったが、なかなかの盛況ぶりだった。
さいしょ進行役の朝日の女性編集委員が「21世紀の資本」をまだ完全に読んでいない方はどれくらいかと尋ねる。八割ほどが手を挙げて、場内が苦笑いと安堵のため息であふれた。
また、生活環境の余裕度を五段階に分けて訊き、最高と最低でそれぞれ五人ほどが手を挙げた。
大勢はもちろん「ふつう」だった。

前半は45分くらいかけて、訳者である山形浩夫が「21世紀の資本」のピンポイント解説。来日講演のダイジェストビデオをまじえて、きわめて要領よくピケティ本の勘所を解説。
シナリオ自体は事前に入手し、勉強もしていたので残念ながら私にとっては新味なかった。ただ、山形の歯切れのいい滑舌と小気味いい話し振りに感心し、意外にもサービス精神があることを認識。

後半は通産官僚出身の国際大学教授の加藤創太、貧困や派遣切り対策で名をはせた湯浅誠(現・法政大教授)が加わり、それぞれがピケティの著作に絡めて日本の格差と不平等を論じるというものだった。
〇超富裕はますますリッチに、貧困層はますますプアになり、その不平等は日本ではいずれアメリカ並みの深刻さになるだろう。
〇格差解消にはなんらかの手だてが必要だが、それは日本において具体的に実施される見込みはあるのか?
〇資産を増やす・残すことの欲望や努力することは利己的ではなく、究極的には家族・子孫のためでもある。(だから、資産の再定義が必要?資産の世襲つまり相続税の扱い)
 論点はほかにもあったが・・。 
加藤の論点。民主主義社会ゆえ政治的な解決という選択はあったはず。なのに、若者たちは根源的なあきらめがあり、競争意識の希薄さが横溢している。
湯浅の論点。弱者に対する不寛容や困窮者に対して底支えするシステムやマインドもないと訴える。
山形の論点。成長戦略はあるはず。社会主義がオルタナティブではありえない。Rに課税してもGは変わらないだろう。
三者三様に話が発展するはずのテーマをもって臨んでいることがわかる。
しかし、発展しそうで尻切れトンボで終わるのは、パネルディスカッションそのものが予め設計(予定の時間で終わること)されているからだ。
講演会でもセミナーでも、一つの商品パッケージとして作られていることがわかる。そこでなにか偶発的な逸脱や予想外のハプニングな展開があるやなしや。
そんな不埒なことを期待して、私たちは金をはらって参加しているのかもしれない。

さて私がピケティに注目したのは、今日的な経済的格差に関する新たな視点と、それを裏付けるビッグデータの活用だ。さらにその処方箋を提示したことにつきる。
これは誰もが共通する評価だとおもうし、今まで誰もが資産、その収益に対して着目してこなかったことが不思議なくらいだ。
わたしはリーマンショックのときに分かったのだが、それまでおおくの経済評論家に騙された感があった。
だから騙されないために経済をすこしでも勉強しようとおもった。いろいろ読んでみたが、自分にとっては佐伯啓思がジャストフィットしていまになっても継続している。
佐伯は経済思想史家であるが人文科学における広範な知見を駆使した様々な著作を発表している。
私にとっては「経済学入門」とはなりえなかったが、佐伯の著作をフックに経済学の神髄を見いだせた気がしたのだ。
つまり、マルクスやケインズもまともに読めなくとも、そのエッセンスを体得した実感があった。
たとえば、マルクスなら資本蓄積とともに利潤率が低下し労働者は窮乏化すると説明した。シュンペーターは、イノベーションによって経済は成長し続けると言った。
一方、ケインズは経済が成熟すると投資が不足して成長が止まると言った。

ことほど左様に、古今東西の経済学者の学説を横並びでみると、その学説は矛盾していて、連関性もすくない。
彼らが生きた時代、環境によって、経済の見立てが甚だことなることがわかったのである。(佐伯啓思については改めて書く)
とーぜんわが国の経済学者や評論家は、経世済民を真摯に捉えるのではなく、国際金融情勢や企業業績の動向に目をうばわれる人がおおい。どういうわけは官僚出身者が多く、しかもとりわけアメリカの経済学界の洗礼をうけている。
いま、トリクルダウン説はもはや幻想だったことは明らかなのにである。
フリードマンらが提唱した新自由主義にのって(ハイエクの位置づけは保留)、レーガン・サッチャー時代に累進課税は大幅に引き下げられた。
超富裕層をふやし、貧困層がさらに厚みを増した元凶はここにある。
グローバリズムが進展するとともに累進課税の軽減は、日本及び世界の先進国に及んだ。

そのしわ寄せが今に及んでいる。
厚生労働省が昨年7月にまとめた国民生活基礎調査によれば、相対的貧困率(年収が全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合)は、2012年に16.1%に達している。
人数にして2000万人超!、日本人の6人に1人が貧困層というのが現状である。
ただ国民の全世代、老いも若きも「現在の生活に満足している」のが75%から80%内に該当している。
若い人たちは「プア充」といって、貧しくても充実した生活をおくる自信があるようである。
しかし日本だけがいま特殊な状況にあるだけで、貧困さの深刻さは、親・祖父からのトリクルダウンが尽きるころから如実に顕になると思われる。

ピケティを読まなくとも、彼が提唱した「グローバルな累進課税」の意味をよくよく考えてみたい今日この頃である。





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