小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

フェイスブックに隠された報酬とは

2015年03月25日 | エッセイ・コラム

ITの利用はいまや老若男女に普及したといえるだろう。PCだけでなくスマートフォンによってもITは拡大した。
また、フェイスブック、ツイッター、さらにラインなどいわゆるソーシャル・メディア・ネットワーク(SNS)は地球規模で広がり、ITの効用は浸透している。
かくいう私も先進的高齢者をめざし(笑)、二年ほど前にフェイスブックのアカウントをつくり、やっとこさ半年前ぐらいから使い始めるようになった。

「アラブの春」のとき、日本では東日本大震災のときには、これらのSNSの利用メリットは飛躍的に人口に膾炙したといえる。
個人レベルの情報発信・応答が、既成のマスメディアを凌駕するほどの、情報伝播のスピードと正確性においてたくさんの信頼を獲得した証左ともなった。

さて、わたしのばあい、自分の身辺のこと、好きな音楽・映像などの投稿が中心で他愛のないものといえる。
フェイスブック上には今のところ友だちは五人しかいない。普通だと何十人の友だちをつくり、著名人ならば何百人、何千人もの友だちやフォロワーを持つという。数が多いとその対応に苦慮するとおもわれるが実際のところはわからない。

ツイッターもそうだが、SNSの要諦は多くの仲間をつくることだろう。原理はネズミ講によく似ていて、友だちの、その友だちの友達、その友達の友だちの・・というように無限連鎖していくのがミソだ。
運良ければたったの3順目ぐらいで音信不通の友人と遭遇できるらしい。
英語を使えば世界の見知らぬ人と友だちになって、共通の話題で意見交換も可能である。
そうした世界中での人的ネットワークの広がりやたくさんの人との情報の共有・共感は、現代社会においては魅力的なものといえよう。特にグローバルな戦略をもつ企業にとっては、マーケティング・広告をきめ細かく行えるので、あり余る成果が期待できるはずである。
わたしはこれらの分野に素人であるが、フェイスブック、ツイッターの隆盛は、情報が氾濫する時代にあってかなりの信頼性と伝播性の高いメディアであると認めざるをえない。

最近知ったことだが、SNSの伝播性は「公共財のゲームにおいて協調性を促進するメカニズム」を組み込んであるらしい。
それは「メタ報酬ゲーム」を応用したものであり、たとえばツイッターでは自分のつぶやきに対してリツイートされたりコメントを受け取ることに当たる。
積極的に自分からツイートしなくても、フォローしている人のつぶやきをリツイートしたり、コメントするだけでもレスポンスを得られる。
フェイスブックでは自分の投稿に「いいね」をしてもらうことや、他者の投稿に「いいね」やコメントを寄せることでレスポンスという「メタ報酬」を得ることができる。
自分の日常のありふれた些事、行動、意見(これらをアクティビティという)に対して、友達からなんらかのレスポンスが得られる。それだけでなくその友達の友だち、さらにその輪をも拡がる他者からも「いいね!」というレスポンスを得られることは快感にもなっていく。

わたしの場合には、せいぜい十人ほどの友だちまでが限界だとおもう。なぜなら何十人、何百人と「繋がり」をひろげてもそのフォローや、毎日おおくの友だちのレスポンスのやりとりを見るだけでも結構な時間が割かれるからだ。ただ、私の場合は五人とはいえ、一人の友だちのレスポンスもない場合がよくある。淋しいといえばそうだが、価値観や趣味・嗜好の選好は個人により大きく違うのだからあきらめる他ない。
ここで推測できるのは、友だちを多くつくる戦略に集中することだ。それにより誰かしらの「いいね!」の反応をさらに期待でき、数学的にも絶対数は上昇する。自分のしょうもない投稿でも、100人いたら2,3人のレスポンスがあればゼロよりましだ。友だちを多くつくるための「いいね!」ボタンという仕掛け。それを押すのはあくまで個人の自由と采配であるが、友だちの絶対数の多さがゲーム感覚を刺激するのか・・。その確率計算とか変数のモデルがあるかどうかは知らない。しかし、それがSNSのメタ報酬ゲームのエッセンスともいえるし、自分が使うときの最適化を考えてみたいとおもった。で、いろいろ調べたのであるが・・。

これらの理論とか分析の情報については、もちろんIT上で自分でいろいろ検索し調べたわけだが、驚くべき事実に遭遇したこともあった。
東京大学大学院に「一般化メタ規範ゲームを用いた情報伝播のモデル化」を研究するチームがあり、その一つに大橋弘忠氏が関わっていることを知ったのだ。
彼は元東電社員でその後アカデミズムに戻り東大大学院教授として原発建設推進のブレーン及びアカデミズム的お墨付き的役割を担った。九州電力の玄海原発建設での地元討論会(後にやらせ問題が発覚)、あの小出裕章京大助教との応酬はネット上でかなりの評判になった。
安富歩の「原発危機と東大話法」にも紹介されているが、大橋弘忠教授の欺瞞・傲慢な話し方、その論理展開はいわゆる「東大話法」の格好のモデルとして完膚なきまでに批判されている。
討論会の模様はユーチューブにもいまでもあるとおもうが、彼の聴衆をいかにも小馬鹿にした、科学的実証性をたくみに避けた話し方はなんとも言い難い。
典型的な例は「プルトニウムは不溶性だから安全。貯水池に放り込んでも溶けないから何の心配もない。なんなら私は飲んでもいい」と言ったことでも、大橋氏の欺瞞性がよくわかる。
もちろん、プルトニウムは不溶性だから、その比重の重い微粒子をもしも吸い込んだ場合、溶けずに呼吸器系のどこかに付着したまま、細胞や遺伝子などに放射線の悪影響を及ぼすことは自明だ。
フクシマの原発事故いらいまったく表舞台に出ず、いかなる取材も拒否している大橋弘忠氏。ひっそりと、原発とはまったく関係ないSNSの情報伝播モデルの研究に携わっていたことは、おおきな驚きであった。

いや、話は脱線したか・・。
先日、フェイスブックが「死後のアカウントの管理人指名やアカウント削除の遺言が可能になった」ことを発表した。
「Legacy Account」というらしいが、自分が死んだ場合の個人情報がクラウド上に残るリスクについて、多少考えたことはあったが、これらのサービスを開発・提供するのは結構なことだし優れた機能だと考える。
ただし、これは後付けであるから何らかの問題発生の事後処理か、ある種の知的財産権の保全なのだろうか。そうだ、まだなんらかの「報酬」が隠されているのかもしれない。

わたしの場合、いまだにフェイスブックの決定的な有効性が見つかっていない。また数少ない友だちに不快な思いをさせているのではなかろうか、と腐心することもある。
いましばらく試行錯誤が続くであろう。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。