小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

岡井隆を悼む

2020年07月12日 | エッセイ・コラム

7月10日、歌人の岡井隆が逝去した。92歳、長命であったのは自身が医者であり、養生に長けていたからだろうか。
戦後短歌界にあってつねに前衛にゐ、西に塚本邦雄あれば、東に岡井隆ありと、この二人の巨星はともに、短歌の韻文としての表現を極限にまで高め、琢磨した。
小生の若い頃、塚本邦雄の表現には憧れと畏れを抱いた。一方、岡井のそれは、思想性のある前衛短歌だと認めるも、一冊の歌集も読んではいない。今、唯一もっている歌集は『禁忌と好色』のみ(古本で近年買い求めた)。

そのほか新書の『短歌の世界』を素読したぐらい。というわけで、岡井隆をここに追悼する文を書く資格はあるやなしや?(傲慢との誹りがあれば甘受するのみ)

▲第1面にも写真入りで掲載(東京新聞)。これは社会面の補足記事。昨日の夕刊では速報記事が一面に・・。破格の扱い、それとも当然のこと?

岡井隆は、正岡子規を祖とする「アララギ」派に戦後まもなく所属。両親がそろってアララギ派の歌人であり、岡井はまさしく短歌の伝統を継承するエリート歌人ではあった。だがしかし、正統なる場に立たず、反体制的な視座と前衛かつ鋭敏な韻文(詩、俳句を含む)、ときに批評を発表してきた歌人だったといえる。

最近、俳句をかじるようになって、岡井の短詩型の表現に、俳句に近いまなざしを感じた次第。『禁忌と好色』を読んで、そう思うようになってきた。

話は変わる。かなりの旧聞に属すること。小説家小林恭二には、『俳句という遊び』という著書(1991岩波新書)がある。当代きっての俳人をあつめ句会を主宰。吟行における作句、選句、選評、その一連の模様をドキュメンタリー風にまとめた。30年ほど前であるが、新書としては評判となりけっこう売れた。俳句には少々興味はあったが、小林恭二が音頭をとっていることの方に関心を寄せた。

正直、俳句というよりも、句会でのやりとり、選評の愉しさに初めて目を開かされた。実に面白かった。

当時、田中裕明という俳人の凄さに気づいたならば、小生はたぶんその時、作句をはじめたかと思う。どこかの句会、結社を探したかもしれない。いやはや、俳句への見識、造詣のなさを露呈するのみ。

それから約5年ほど経った。前作の高評価もあり、待ちに待ったともいうべき次作『俳句という愉しみ』が上梓された。
ただし、句会に参集する俳人たちの大幅な改変があった。小林恭二の慧眼も素晴らしい(編集スタッフの力もあるか)。名だたるベテランや新進気鋭の俳人にくわえて、歌人の岡井隆を招聘したのだ。

短歌と俳句の違いを前述したが、それを端的に表現すれば、前者を叙情的とすれば、後者は叙景的といえないだろうか。叙景といえども、日本人の感性や美意識に訴える季語を巧みに用いねばならない。

五七五の最も短い詩型において、その季語選択の適格、語順、句全体のバランスを整えることによって、俳句の叙情性が立ち上がってくるのだ。
そうした意味においても、句会に岡井隆を招きいれた小林の企図は、いまとなってみれば素晴らしい演出であった。
読んだ当時は、小生はそこまでの認識はなかったのだが、岡井隆の作句は、歌人として瞠目すべき力量が発揮されたとおもう。俳句にもとめられる理知的な観察、感情を排した写生力、調和性が研ぎ澄ますように意識されている。

つよく印象に残っている句がある。言葉よりも、イメージとして強く印象に残っている俳句だ。(追記:読み直したら、2名の俳人が逆選を入れていた。)

 猫の餌置きてふり向く雪女

そのほか『俳句という愉しみ』には以下の秀句が収められている。

 絵の家に寒燈二ついや三つ
 寒靄といふべきか谿を深うする
 隣室に海荒るるべき寒さかな

 

▲折口信夫(釈迢空)にちなんで設けられた短歌の「迢空賞」を受賞、岡井隆の代表作。

『禁忌と好色』から、本領ともいうべき短歌を数首、えらんでみた。

 裂けてゐる青き雲間になにを見む<時の徴>は西洋の神
 人体に在るくらがりを想ふまで下草にさへ甘きかがよひ
 くもり日の芝を伝ひてとぶ蜂のしばらくは飛びしばらくすがる
 みどりごをおびやかしたるウイルスは細気管支にひそめるらしも
 庭一つへだて透きみゆる夏草の内部をふかく憎みつづけぬ
 今宵わが道化に徹したれば見ゆ十指の爪にさす紅は見ゆ
 一瞬の怒りははやくなぎゆきて汁に割り込む生卵ひとつ

ほかに序詞があるもので

日本人の雨には四季の別がある、とおどろく人があった。
あたらしき禁忌の生(あ)るる気配していろとりどりの遠き雨傘

<氷解けて水の流るる音すなり 子規>
金銀のはかなき幸をいふ人は北辺に居てわれに鏡を


岡井隆氏のご冥福を祈ります。

▲歌会始の選者になったときの新聞記事の切抜き。反体制歌人ということでセンセーショナルな話題になったのか・・。1992年9月4日の朝日新聞、本の所有者が切抜き挟んでいた。古本好きには嬉しいトピック。

 

 


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