改葬の場所として何件かのお寺さんを周ったが、気になったのはランク付け。
上部の値段が高く、下部が低いマンション型の納骨堂を見た時に、亡くなってまで格差がある事に違和感があった。それは仕方がない事だし、戒名も価格がありピンキリなのよね。
「千の風になって」のように亡くなった人はお墓の中に居ないと考える人。いつも身近に居てくれると感じる人。
空の上から見守ってくれていると思う人。それぞれ…
友人と小寄道の話をしている時など「聞いてる?」と、周りを見渡してしまう事がある。ということは、私は身近に居ると感じている訳だ。
でも年がら年中近くに居て、例えばトイレにも一緒に来ていると思えば、落ち着かない。
やはり、あらゆる場所に行き、星々の間を漂ったり、深海で珍しい魚やクラゲと遊んだり、ビーチで優雅に本を読んだりしているのかもしれない。そして、話し掛けるとそこに居てくれるような存在。
お墓はイコンとしての場所、そのように考えた。
🔻樹木葬をする長明寺の蝋梅
🔺ご近所のお寺さんの壁飾り
何気ない日常の中で、亡き人がふと近くにいる気配を感じることがあります。何かしら生前の関係よりもより親しくあたたかい感覚に包まれたりもして、うまく言えませんが、わたしにとっては、尊く愛おしい瞬間です。
コメントをありがとうございます。
今回の記事は、アップしてからモヤモヤとしたものがあり、返信が遅くなりました。
マンション型の納骨堂…読んだ方の中には微妙な気持ちになる人も居るのではないかと心配になったのです。
人それぞれ、捉え方もそれぞれと思って頂けたら幸いです。
気配を感じる事はありますね。それはとても嬉しい事です。
それは、昔、祖母が「( 祖父の )遺影を眺めていると、その時の自分の心境によって( 祖父の )遺影の 顔つき や目つきが変わって見える!」と言っていた事なのです。
それによると、『 ( 祖母が )悲しい時は、( 祖父の )遺影も悲しそうな顔や目つきをしているように見えるし、( 祖母が )嬉しい時は、同じように嬉しく幸せそうな顔や目つきをしているように見える!』とのことでした。
その時、私は、祖母のその言葉について、あまり ピン!と こなかったのですが、
父が亡くなって暫くしてから父の遺影を眺めて祖母が言っていたその言葉が よく理解できました。
なので、同じ人間でも、人によっては、いつも( 或いは、ずっと )同じような捉え方をするのではない!!
環境、立場、年齢、気分などによって いろいろ変化するんだなぁ! と思います。
お久しぶりです。ブログを続けて読んで下さっていた事に感謝です。
コメントの内容、胸にストンと落ちました。
お祖母様は孫の東様と良い話をされていたのですね。
人に向き合うって鏡が引き合いに出されますが、やはり自分が反映されているのでしょうね。
あの時のあの言葉を何故スルーしてしまったのだろう、よく思います。今はこんなに欲しているのにとか。
またよろしくお願いいたします。ありがとうございます。