小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

自分に気づく自分。意味はあるのか

2020年07月13日 | 日記

自分にとって意味のあるすべてが大切だ。意味する作用を自分なりに解体すると、ある種の普遍性を感じてしまう。
特に、時間軸における過去に目を向けるがいい。自己の来歴・ミームと、現在に拠って立つ自分成りを確認できる。
その一瞬、回路が逆流したがごとく過去を忘却し、アクチュアル(現在性)に目覚める。精神の覚醒が始まるのだ。

自分にとって意味するもの。それが何か明確に理解かつ目に見えるカタチにして再現する。それが人生の愉しみだ。

 

▲熊谷守一が裸で踊っている。隣りに神父を気取っているフジタがいる。意味のない愉しさ、人生の凄さだ。やっと自分の言葉を付けることができた。ん、ちゃってだ。


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