小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』を読む

2021年07月08日 | 本と雑誌

この2,3日、メディアは、人種差別の大小の問題を取りあげている。小さいのは、フランスのプロサッカー選手が日本人を揶揄したもの。過去のプライベート動画が内輪から漏れ?、「これは差別だ!」としてネット炎上したらしい。「日本人の顔は醜いとか、言語が可笑しい」などと、フランス語を理解しないホテルのスタッフを揶揄っている動画が、「これは明白な人種(日本人)差別だ、けしからん」として、SNSで拡散したのだ。

今、「差別」そのものがグローバルな案件であるから、有名人のそれがネットに拡散すれば、多くの人が「差別」を語りはじめる。多くのメディア、ウェブサイトにそれは伝播し、同時に付随する広告の出稿数も伸びる。視聴回数のプラトー状態が終わらない限り、つまり、ほとぼりが冷め、誰もが話題にしなくなれば、それは鎮静化する。

「差別」問題は、その当事者たちの感情の劣化を浮き立たせる。「差別」するものたちの無知、それに反応せざるを得ない人たちの偏見、不見識の傷を無闇にえぐり出す。その反面、一方では商業的な格好のおいしいネタとなる。愚生のブログは幸か不幸か、それには属さないが・・だから書いている。

さて、大きい人種差別問題とは、カナダにおける先住民同化政策の寄宿学校跡地から未成年215人の遺体が発見されたことだ。西部ブリティッシュコロンビア州カムループスにあった、キリスト教カトリック系の先住民寄宿学校の跡地から出てきた。これにはさすがに驚く。

▲ブリティッシュコロンビア州カムループスにあった先住民寄宿学校 (ロイター記事より)

BBCの記事によれば、「カナダでは、1863年から1998年までの間に15万人以上の子供が家族から引き離され、寄宿学校での生活を強制され」、「校内では母語を話したり、民族の文化活動を行うことは禁じられ、多くの生徒が不当な扱いを受け、虐待されていた」という。

1969年には中央政府が運営するようになり、1978年に閉鎖されるまで存続していたらしいが、「2008年に、先住民寄宿学校の歴史と影響を調査する”カナダ真実・調停委員会”が発足。多くの生徒が地元のコミュニティーに戻らなかったことが明らかになった」とあった。

カナダにおいて先住民同化政策があったことは初耳であり、その多くがカトリック系の寄宿学校で行われ、記事にもあるように、差別と虐待だけでなく先住民の子供たちへのジェノサイドがあった事実には驚愕した。カナダのトルドー首相は歴史における痛恨の極みとして、全容解明に着手すると声明を出した。

多くの人種差別問題というのは、とどのつまり「ヨーロッパ人が非白人に対して確立した搾取関係にあり、特に黒人は劣等な、人間以下の人種に属すると考えなければ、奴隷貿易をおこなうことはできなかったはずである」と、アンソニー・ギデンズは教科書的な自著『社会学・第5版』で解説している。

個人的にはそのほか、「キリスト教を信じないものは人にあらず」のような植民地化全盛時代の白人、すなわちヨーロッパ人の傲慢な偏見、曲解が「黒人を人でなくモノとして扱う」心性を育んのではないかと考えている。

この辺りは比較宗教学の竹下節子さんのご教示を仰ぎたいところだが、カトリック、プロテスタントのキリスト教の教義を超えて、人種差別の構造意識を徹底的に解明した人は、今のところルース・ベネディクト(『レイシズム』)しか知らない。いや、混血のフランツ・ファノンは差別の本質をとらえていたが、ベネディクトと同じく肌の色の「ルッキズム」を本質的に超克したとは言えなかったのではないか・・。

また例のごとく、本題に入る前が長くなってしまった。

 

さてさて、映画『ノマドランド』については何度か書いているが、その番外編としてとらえてほしい。

映画は、ジェシカ・ブルーダーが2017年に発表したノンフィクション『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』をもとに製作された。最近、その翻訳を読むことができた。映画を観たことでもあるし、原作までも読むことはないかと思ったが、世評も高く、いちおう図書館に予約していたものだ。

約3か月経って、7月にそれが来、2,3日で読み終えた。映画には描き切れないだろう、社会的・経済的な事実や人間の関係性など、きめ細かいドキュメンタリー手法で書かれていた。以前の記事にも書いたが、黒人のノマドがいないのは何故か、その理由や背景が知りたい。それが本を読む大きな動機でもあった。

RV(Recreational Vehicle)のヴァンはじめ、いわゆる「キャンピング・トレイラー」で各地を放浪する高齢者たちを描いた映画『ノマドランド』は、最初の方に黒人女性をちらっと登場させていた(昨日、ビデオで再視聴)。しかし、それはアメリカの映画製作の取り決めがあるための出演だったか?(最近の映画では、必ず非白人の俳優も出演させる条件が課せられる)。

本を読むと、実際にはノマド達のほとんどが白人であり、原作者のジェシカ・ブルーダー自身もそのことが気になっていたらしい。彼女はこの著作をほぼ丸3年間かけて取材したらしいが、「非白人のノマドをほとんど見ることはなかった」と書いていた。

ちょっと長くなるが引用してみる。

「写っているのはほぼ白人だね。どうしてだろう」(友人の黒人写真家からの素朴な疑問)。私が不思議に思っていたのもそこだった。その時点で、私はすでに何百人もの車上生活者に会っていた。アメリカ全土でワーキャンパーや、ラバートランプ、キャンピングカーで暮らす人々と会ったのに、そのうち非白人はほんのひと握りしかいなかった。ノマドというサブカルチャーのなかでは、非白人は明らかに、ごく少数派なのだ。

では、なぜ車上生活者にはそんなに白人が多いのだろう? 当人たちもその点を訝しんでいた。アマゾンのキャンパーフォースも、フェイスブックの公式アカウントに掲載された写真を見ると、ほとんどが白人だ。これを見た黒人のノマドは「アフリカ系アメリカ人も求人に応募しているはずだけど、写真には一人も写っていないね」とコメントしている。

車上生活者が人種の多様性に欠けていることは、キャンプに魅力を感じる人が多いという事実となにか関係があるのだろうか。この事実を明らかにしたのは、アメリカ森林局の調査だ。おそらく戸外での「不自然な生活」を楽しむには、ある種の特権的地位が必要なのだろう。(中略)白人であるという特権的な切り札をもってしても、警官や通行人とのいざこざを避けられない場合があるのだ。であれば、丸腰の黒人が赤信号で止まっていただけで警官に撃たれるような地域ではとくに、人種差別的な取締りの犠牲になりかねない人が車上生活をするのは危険すぎるのではないだろうか。(『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』春秋社、253~4Pより部分引用 )

ここで注意したいのは、かつての白人移民たちが荒野にキャンプしながら中西部を開拓した歴史、あるいは、ソローの『森の生活』にも通じる自然派ロマンチシズム、近年まで存続していた「職業としてのカウボーイ」など、車上生活に憧れてもおかしくない精神的な素地が、白人たちのエートスに抜きがたく沁み込んでいると想像できることだ。

この本を読んで痛切に感じたことは、2008年のリーマンショックで大量の失業者が出て、白人の中流層がごそっとドロップアウトした事実。年収30万ドルあった人もレイオフされたぐらいに、白人中高年へのしわ寄せが目立った。特に定年近くの高齢者にとって、そのダメージは大きく、失業、それに伴う離婚、持ち家の売却(リーマンショックは土地・住まいのバブルがきっかけ)により、家族離散、故郷喪失の憂き目にあった人が多かったという。

この本には映画では描かれなかった車上生活をする高齢者の実態が克明に紹介されているが、前述したように、そのほとんどが白人たちに限られる。アメリカと日本とでは、年金はじめ社会保障、公共福祉などの制度はだいぶ違うが、辛うじて白人たちはその恩恵にあずかることができる。

黒人たちの多くが、生まれたときからそうした制度から排除されているか、利用することの教育を受けない。ましてや、黒人だけの理由だけで差別する白人たちのコミュニティに好んで入るものもいない。また、カーキャンピングするだけでも、1日あたり10~30ドルの駐車代を払わなければならないという経済的コストも、黒人たちにとって選択肢から外れる要素だ。

以前の記事で、ノマドライフをおくる白人たちに経済的ヒエラルキーはないと書いたが、この本を読んで、それは間違いであったと訂正したい。2LDK並みの設備を配したキャンプトレーラー、アルミの蒲鉾型のキャンピング・カーをけん引して移動する人、ワンボックスのヴァンを改造して車中泊する人など、大きく3から4タイプぐらいの階層ができ、それらのクラス別に相当するキャンピング施設へと、ごく自然に階層ごとに別れて車上生活するようだ。

そして映画の主人公の女性だけでなく、多くの高齢ノマドたちは、社会福祉や民間の援助団体等に頼ることなく、各地のアマゾン倉庫センター(サッカー場15個分)や大規模農業などの季節労働で働きながら、かつかつの収入を維持して生きていく。

本には、その過酷な労働実態が克明に記述されている。(ちなみに、アマゾンの倉庫に勤務する場合、一日に20キロほどを歩行する10時間労働となる。その他、運搬ロボットや機械設備との接触や荷物の運搬・取り扱い時での様々な事故がある)。働くことが出来なくなったら、具体的にどうなるのか・・。さすがにジェシカ・ブルーダーの取材・記事も、そこまでには及んでいない。

アマゾン、ウォールマートに働き、予定の稼ぎを得たら、高齢のノマドたちは、たとえばボブ・ウェルズという教祖がいるコミュニティに行く。そこではノマドとして賢く生きるノウハウを体得し、時に必要・不必要なものを交換しあう交流の場だ。同じ車上生活をおくる白人同士として淡く関わり合いながら、宗教的にもちかい紐帯がつくられるのは、多くの白人たちが幼い頃に体験したプロテスタント文化から来るものなのか・・

本にはそのような個人的体験の経緯、事実が詳らかにされ、興味尽きることなく読んでいて飽きがこない。著者ジェシカ・ブルーダーの著述は、綿密な取材に基づいているが、と同時に、市場から白人はじき出されたノマド、その高齢の女たちへの敬意、慈しみに溢れている。

彼女は取材する最後の方で、中古のキャンピング用ヴァンを購入し、その体験を書いていた。路上とか空き地にやむなく無断停泊するときは、それをステレス・キャンプというが、警察か地元の誰かのノックには否応なく恐怖を感じること(車上荒らしの被害がある)。また、彼女自身はニューヨークに住居を構えるが、そうした都会にもステレス・キャンプをするヴァンが意外に多いと書いていた。

著者のジェシカ・ブルーダーは名門コロンビア大学の大学院でジャーナリズムを学びサブカルチャー関連の取材・記事を書いていたが、大恐慌(リーマンショック)以降、ノマドを経済問題としてでなく彼らの暮らしをサブカルチャー的な視点から取材しはじめたという。

映画にもでてきたリンダ・メイに何年にもわたり寄り添い、親交を結んだ。本の前半は彼女を中心にしたドキュメントだ。F.マクドーマンドが演じた「ファーン」は、リンダ・メイ他3,4名をベースに、取材した多くの女性ノマドたちの知見から作られた象徴的キャラクターともいえる。

映画『ノマドランド』の「ファーン」が孤独でありながらも、明るく前向きだったのは、やはり車上生活がアメリカに移民した白人たちのライフスタイル、エートスと親和性が大いにあったからだ。そのことはジェシカ・ブルーダーの筆致にもあらわれていた。

アメリカの大地は想像を絶するほど広く、奥深い。そして、そこには人種の多様さ、白人と非白人との徹底した差別構造がある。その未来は、誰にも予測できないのではないだろうか。

 

補記:映画のノマドランドで書いた記事で、明らかな間違い、誤記が何か所あったことが判明し、それを訂正した。ビデオを再視聴したこともあり、さらに原作も読んだことで記述を訂正したので、興味のある方は下記から確認されたい。

映画『ノマドランド』に打ちのめされた

 

 

 

 

 


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8 コメント

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フランスのサッカー選手のこと (sekko)
2021-07-12 06:39:45
サッカー選手の「人種差別」について、他のブログのコメントに書きました。
なかなか微妙なので大きな声では言えなくて。

http://blog.livedoor.jp/ussyassya/archives/52154734.html
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感謝します (小寄道)
2021-07-12 11:19:48
そちらのブログ「立花隆のこぼれ話」の方にコメントをお返ししました。
アクチュアルな問題から身の回りの世事など、微妙な判断が求められるトピックに幅広く言及されていて驚きました。
これからいろいろと拝読させていただきます。
これらの記事がネットの小空間に押し止められているなんて、ほんとに日本のメディアは✖✖だと思いますね。
ともあれ、ありがとうございました。
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Unknown (sekko)
2021-07-12 17:23:47
「どーか誰にも見つかりませんようにブログ」のメロンパンチさんは埼玉県の企業主さんで私が愛読しているブログです。Rakitaro さんとつながったのも、このブログ経由です。たまにコメントさせてもらっています。
ひょっとして誤解があると困るので一応。
(他のブログと書いたのは、小寄道さんのブログへのコメントでなく他のブログへのコメントに、という意味で、私の書いている他のブログではありません。すみません。)
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納得 (小寄道)
2021-07-12 18:59:22
そうだったんですね。すべてが了解です。
こちらの方こそ生来の粗忽者でして、あらぬ勘違いをしておりました。
メロンパンチさんにもご報告いたします。
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Unknown (スナフキンÀ)
2022-06-09 23:48:23
車の維持費なのでないですかね白人ノマドばかりなのは。
そう仮定するのは、80年代にホーボー(「映画「北の帝王」に出てくる貨物列車に無賃乗車して、各地を季節労働して歩く人。昔の映画館に貨物車からバックを投げて草原に飛び降りる描写がありました。70年代にはほぼ消滅したはずですが)をフォークロアとして追求し、実際に無賃乗車で旅した人類学者がいまして、晶文社から出ていました。
その中で、白人の学者にサバイバルを教えるホーボーたちに黒人が結構いる話が出てきたので。アメリカは車社会で、ほぼ下層も持つと思ってましたが、サンディエゴからメキシコのティファナを結ぶ単線に乗った時に、マクドナルドなどの精肉工場で機械の除染をする貧困層が、よく
列車やバスを使うのを見ています。車を持っていない人がいるんですね。
国境に近づくと、トレーラーハウスに住む人たちが、ロープで洗濯物を干している光景を見ました。オートバイでバハカリフォルニアに向かう途中
何度かそういうゲットーみたいな場所を通過してます。
それと一定数、ノマド的な移動に憧れる人がいるのも事実と思います。
それは私がバイクで東海岸からやって来たというと、パトロール警官からトラック運転手から、ヘルスエンジェルスみたいな格好のバイカーまでが遠い眼をして、「俺もいつか挑戦したい」と言って、コーラやチョコバーやパイを御馳走してくれたんです。田舎のダイナーで。
大陸横断というと、何か心が踊るような一種のフォークロアが
あるように思えました。まぁ……そんな牧歌的な話ではないのでしょうが。
ちなみに一昨年ですか、拘置所を脱獄して、サイクリストに変装し、
48日間も逃走していた逃亡者がいましたね。今の時代、自転車旅で、
スマホを持ち歩かない者ほど、警察は追えないものなのが良くわかる事件でしたが、犯人も堂々と日本一周を装いながら、多くの人と交流し、
記念写真を撮られていたり、妙に明るいんですね。ホモ族の人類の歴史が仮に100万年としたら、定住をするようになったのは、氷河期後の気候変動が落ち着いた8000年前くらいからです。それまでは数世代に渡る定住は不可能でした(だから超古代文明など有り得ない)。
つまり人類史で定住は1%に満たないと。当然、移動への衝動は残っているはずで、それがノマド高齢労働者たちが、意外と飛散に見えないと
小寄道様が感想しておられた理由ではないかなぁ。
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ノマドにならない米国黒人 (小寄道)
2022-06-10 00:34:41
コメントありがとうございます。
主たる理由は経済的要因でしょうか。
キャンピングカー、あるいはトレーラーを所有するのは、購入することも維持することも、けっこう金銭的にたいへんでしょうね。

黒人の多くは、低所得者層として一生を過ごします。それにリタイアしてからは潤沢な年金生活ができる人は少ない。
それに彼らの多くがゲットーという特定のエリアに住む。そのなかで相互扶助のような暮らしに慣れて、生活を変えてまで新天地をもとめて、どこかに移動しようとは思わないのではないか・・。

白人たちには移民の子孫で、夢や自由を求めて移動することは厭わない。
黒人はアフリカから奴隷として連れてこられた。で、大地主の農地にしばられ、単純な農作業しかやらされなかった。
その結果、アメリカ南部に多くの黒人たちがとどまった。
だから、経済的要因も大きいですが、ノマドとしてアメリカを移動しながら心性がない。そこまでして、知らない土地に行って、人種差別をうけながらノマドライフする必然性を感じない。
そんなところでしょうか。もちろん、実相はわかりませんよ。現地に行ってみて、驚くような発見もあるかもしれません。
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Unknown (スナフキンÀ・小寄道様するどいです)
2022-06-10 19:34:08
非常に説得力ありますね。先祖が移民と奴隷。自由意志と強制。
そして移動文化が無い処に差別もされる。そうしたら、今あるコミュニティーでできるだけ大人しく暮らす方が……というか選択はありうるし、
冒険というのは何だかんだ体力気力を消耗しますしね。 
言われて見れば、アメリカのチカーノなどのストリートギャングは、
自分の縄張りから道一つ渡って、隣に入ることすらしないですね。
完全に自分のギャング団の縄張りエリア内からでない。これはドキュメンタリー映像の複数で見受けられる現実なので、ギャングにとって普遍的なのでせう。エリアの外は別なチームで、それは敵だからだそうですが。屈強に観えて、彼らはツルんでないと不安でたまらないのでせう。
そこを考えると、わざわざホームタウンから、見知らぬ敵が潜むジャングル(ホームタウン以外)に出たりはしないと。
ある程度の言論や自由を味わえ、政府の庇護の恩恵を受けらるるからこそ、「地平線の向こうには何がある?」とか考えられる。だから白人ばぅかりになると。いや、実に説得力ある御説明でした。
小寄道様に座布団1枚!!
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いただきました座布団 (小寄道)
2022-06-10 21:57:45
コメントありがとうございます。
なんかスナフキンÀさまにお褒めいただくと、身が縮む思いです。
そういえば、アメリカをバイク旅行なされたんですよね。現地の情況を肌で感じた人を前に、知ったようなことを書くのは、正直冷や汗ものでしたけど・・。
それにこちらは確たる論拠もないわけで、単に仮説レベルの推論ですから・・。

まあ、アメリカについてはこれからも追求したいテーマも多く、その節はスナフキンさまの知見をお借りいただければと存じます。
ありがとうございました。
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