小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

形のない時間の手触り

2023年10月09日 | 本と雑誌

 

■『ポール・ヴァ―ゼンの植物標本』から 堀江敏幸の「記憶の葉緑素」を読む

30年ほど前のこと。フランスのリヨン、長距離バスの待ち合わせで2、3時間、待つことに・・。作家の堀江敏幸は、旧聖堂のある広場で古道具屋「オロバンシュ」(※注)にふらっと立ち寄る。書籍コーナーもあったが、理系の雑書が多く、数学、サイエンス系の専門書で占められていた。そのなかに紛れていたルソーの『ある散歩者の夢想』とモーリス・ルブランの『虎の牙』、表紙のくたびれたペーパーバック二冊を手にする。時間はまだたっぷりあったから、店のなかを物色する。

おびただしい古道具類のなか、堀江は、薄い緑の細長い筒状の容器になんとなく惹きつけられた。店の主人から、植物採集につかう「胴乱」であることを教えられ、そこからポール・ヴァ―ゼンの話にひろがるのだが・・。このくだりが、二人の会話をふくめて含蓄のある文章なので、オーナーの人柄や店の雰囲気、匂いや佇まいなどがじわじわと伝わってくる。ちょっと長くなるが引用してみよう。

導かれるまま、左の壁の棚の真ん中にくり抜かれたドアの向こうの狭い部屋に入ると、作り付けの棚にさまざまな道具や工具が整理され、床には蓋のない木箱がいくつも置かれていた。主人はその木箱のひとつから小さなピッケルのようなものを取り出した。鶴嘴ですか。そう、いろんな種類があります。コテの形がよく出ますね、これは細長い型で、先っぽにネジ穴があって刃が替えられる、それから固い土や石の多いところを深く掘るには、これ、ボルドー製の短剣、ベルトに吊るすんです、子どものころの憧れでした。革製の鞘から出して私も触れてみた。柄が短く、尖端が少しとがって、リブのところがふくらむように補強されている。かなり重い。これでは植物採集ではなく登山になりませんか。そうです、と主人はうなづいた。高山植物を採るときは登山とたいしてちがわない、身の安全のためにも必要です。

字面だけをみると、選び抜かれた言葉の、硬質な文章に思える。読んでみれば、さすが言葉の使い手による吟味がされていて、違和感なくスムーズに読み下すことができる。話された口語との混交がふしぎにも響きあい、書き言葉に落とし込む寸前のような、作者ならではの絶妙な配慮が効いている。

ところで、『ポール・ヴァ―ゼンの植物標本』は、ほぼ1年前に買った積ん読本で、地元の本屋でもとめた。4,5冊平積みされていて、堀江敏幸の名前を確認して手に取った。ポール・ヴァ―ゼンという名前は聞いたことがなかったが、植物標本の美しい写真がメインで、堀江敏幸のエッセイがサブであった。

まあ、堀江が書くものに裏切られることはなかったし、そして、何よりも装丁が洒落ていて、なんの逡巡もなく買い求めた本であったのだ。そのときは、標本の作者はポールという名前だから男性だろうと思っていた。

しばらく読みすすむと、ポール・ヴァ―ゼンは女性であり、アルプスが臨めるジヴィジエ市の女子寄宿学校の生徒であり、1900年初めの頃に植物標本がつくられたと分かる。現在は既に学校は閉鎖され、建物しか残っていないらしい。1820年に設立されたカトリック系の女性たちの、技術習得をめざす宗教教育施設であったという(といっても、プロテスタントやユダヤ系も受け入れる寄宿学校であり、フランスのバカロレア試験のラテン語、哲学なら合格できるほどのハイレベルを誇っていた)。

詳細に及ぶとネタばれになる。ともかくポール・ヴァ―ゼンの標本について、堀江敏幸はこのように書き記している。

ポール・ヴァ―ゼンの標本には、学術的なものであれば当然記されるはずの情報が欠落している。一枚一枚額装したくなる美的完成度と華美でない清廉な品があり、学問というよりもっぱら自分のため、自身が過ごした時間と空間と心の動きを押し花にしたかのような印象を受ける。

この「記憶の葉緑素」というエッセイは30pほどの短いもの(胸をしめつける掌編、と帯にある)であるが、現在から30年まえ、そしてさらに100年前に遡る時間の旅を経験するような読後感があった。植物標本そのものは、いぜんから牧野富太郎の本を2,3冊ほど読んでいて、関心があった。最近、牧野のNHKドラマを視聴し、日本全国の植物を蒐集した彼の業績、その周囲の人々の逸話を知り及び、植物標本そのものが、草花をこよなく愛する人の至宝に思えるようになったのだ。

で、しばらく眠っていた『ポール・ヴァ―ゼンの植物標本』を取り出して、慈しむように読むことができた。これも何か、じぶんの記憶の連鎖のように感じた。つまり、時間とは形はなく、目に見えないものであるけれど、なぜか手に触れることのできる実感。あたかも、藍染めの木綿生地を手でさわるような、小さな感動をふくめた、確かな触感である。

エッセイはそのほか、買い求めたルソーの本をきっかけに、ルソー自身が標本づくりに精を出していたこと、怪盗ルパンはLupinと綴り、実はルピナスの言語表記と同じことなどを、店の主人が得意げに語るこれらのエピソードは実に興趣をそそられる。

はたして、堀江敏幸は30年前に、件の「胴乱」を買ったのか・・、当のポール・ヴァ―ゼンの植物標本はどうなったのか? それは実際に読んでみた人でも、その内実は分からない。いや、この出版に関係する人々に問い合わせないと、しかるべき詳細は分からないかもしれない(小生は問い合わせるつもりであるが)。

(※注)オロバンシュという店の名前の由来は、葉緑素のない寄生植物の一種、ハマウツボのこと。堀江自身が辞書で調べたという。この寄生するという行為が、店の主人、つまり先代のオーナーである伯父さんのエピソードにつながっていく。

▲表紙カバーを外すと、愛嬌のある押し花がビジュアルのメイン。

追記:出版社に問い合わせたところ、堀江敏幸氏の「記憶の葉緑素」は創作である、ということだった。もちろん「ポール・ヴァ―ゼンの植物標本」は実在するし、創作=物語といっても事実に基づいている。本郷にちかい湯島にアンティークショップATLASがあり、そのオーナーが飯村弦太さん。お若い方であるが、かなりの目利きがあるとお見受けした。フランスを中心に芸術品、骨董、古物を仕入れて販売している。

「ポール・ヴァ―ゼンの植物標本」もそのうちの一つであり、高品質の写真を撮って一般公開した。そのときに企画されたのが本書ということだった。堀江敏幸の創作であるから、飯村氏への取材は緻密であったろうし、事実を尊重したものだろう。ただ、ルソーとルブランの古本を買ったというのは創作っぽいか・・。古道具屋「オロバンシュ」の先代オーナーの話も、どうもイマジネーションが創りだした逸話のような気がしてきた。

ともかく、「ポール・ヴァ―ゼンの植物標本」は実在し、この日本で大切に保管されていることは確かだ。最後に、標本の写真をブログに載せてもいいかと尋ねたところ、書物を写したことが分かるならば問題ないとのこと。ということで、下に「ポール・ヴァ―ゼンの植物標本」の一部を紹介したい。本からの転載であることが判別できるように指が写っている。(2023.10.10記)

 

 

 


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