小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

はやく元気で居られることを祈る

2016年04月18日 | 日記

 

 

こんどの熊本地震は身につまされる思いを強くもった。未経験な地震のパターンを感じ、東京にいても警戒心が募る。余震はいまだ継続しているし、熊本の人々の苦難を思うばかりだ。

被害の生々しい映像はやはり強度があり、ずっと見ていると胸が締めつけられる。被災した人々みんなが、ストレスフルな状況に耐えられないかに見える。障碍者や高齢者、入院した方々の差し迫った避難生活も痛々しく、やりきれない気持ちでいっぱいになる。子どもたちの疲れきった表情を見るのもつらい。でも、はしゃいでいる元気な子がいると無上にほっとする。いや、地震の怖さを紛らわしているのか、ふさぎ込む大人たちを鼓舞しているのか・・。考えすぎだったら、それに越したことはない。

熊本の皆さんには、どうかお気をつけ下さいというお見舞いの気持ちしかない。一日も早く以前と変わらない生活が戻って来ることを強く念じ、元気でいらっしゃることを祈りたい。

日本人なら誰もが思うようなことを何故書くのか・・。それは歳のせいで気弱になり、言挙げする事で自分の気持ちを整えている。ご容赦願いたい。


今回のNHK報道では、震源地の移動と原発の所在について意識的に触れないようにしているのではと勘繰った。徒に不安を煽らないという配慮ならいいのだが・・。

分ってきたことは、隣接する活断層が複合して起きた、初めての地震だそうだ。数日にわたり、前震・本震・余震が連続しているのも、初めて聞くような気がする。

繰りかえすようだが、中央構造線なぞとの連関、その上に愛媛の伊方原発があることの危険性を、今さらながら実感できた気がする。また、今日の民放によれば、去年マグニチュード7クラスの地震が鹿児島沖であり、これも中央構造線の延長上にあったらしい。とにかく、はやく終息するよう願うしかない。


 ▲我が家の君子蘭、花盛りである。せめてものお見舞いの気持ちを、熊本にとどけたい。

 

追記:アーティスト・作家の坂口恭平が、熊本を出たらしい。「TOKYO0円ハウス0円生活」や総工費2万6千円モバイルハウスで注目された彼は、福島原発事故以降、故郷熊本での活動をはじめたのだが、今回の熊本地震で被災した。詳しいことは分からないが、奥さんの実家がある横浜に避難し、移住を決意したとSNSに書いたそうだ。原発事故以降、彼の表現活動には注目していたのだが、今回の地震で志を半ばして折ったのだろうか・・。早稲田の建築科から「笑う住宅」の石川修武のところに行き、やがてインド放浪。その後、隅田川での路上生活を送りながらの表現活動は、豊かでありながらも閉塞し、歪な日本社会のいわば活断層的なポテンシャルがあった。熊本の由緒ある地に、築80年200平米の空き家に0円センターを開設。「独立国家」の初代総理大臣就任宣言したりと、実は著作を読んでいないのだが、すごく気になっている若い作家のひとり。

今回、避難所にギター一つを持って、家族(妻・子供4人?)と共に避難した。周囲の冷たい視線、軋轢もあったらしく、覚悟を決めて熊本を離れることにしたのだという。この選択が最善だったかどうか、もちろん彼自身のことだから私が論評することではない。もう少し頑張って、独立国が成長していくところを見たかった。それは叶わなくなったが、仕方のないことだ。


▲同じオレンジ色のサボテンの花。今年はじめてだ。  



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