小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

トラックからの黄金水

2018年11月20日 | 社会・経済

   「男女差」なんて時代と文化の文脈による恣意的なものでしかない。

竹下節子さんの感慨というべき最近のことば。
ミッシェル・セール(科学哲学者)が、7人の若者と話し合ったことをもとに、竹下さんならではの分析・思考をかさね、それを総括したブログ記事の結論である。

小生はフェミニストを自認している。近頃ではしかし、殊更に女性を持ち上げるようなことを言うと、女性の方から「それって下心? 別の意図?」なんて、言われるのではないか危惧するご時世か。
そう邪推したくなるほど、今どきの女性は堂々としているし、社会のなかでの自分のポジションを考慮して、しっかりした意見を述べている。
もちろん、すべての女性ではない。が、そう感じさせるひとが多い。だから、竹下さんのことばに得心する。

以上のことと全く関係ないことを書く。

昨日の東京新聞で物流の本線ともいうべき街道沿いに、黄金水の入ったペットボトルがたくさん捨てられている、そんな記事が東京新聞のトップを飾っていた。
トラック運転手が我慢できずに、ペットボトルに「おしっこ」して貯め、それを投げ捨てるのが問題になっているらしい。

もちろん皆がやっているのではない。大型トラックはどこにでも簡単に駐車できない。運転しながらスマホアプリで、公衆トイレを見つけることは容易(たやす)そうだが、実際となると面倒くさいのか・・。いやいや、それは、最低限のモラルを逸脱した恥ずべき行為だ。

記事は社会面でもフォローしていて、現実的にはトイレを行く暇もない、切迫した納品時間があると解説していた。そのために、ペットボトルをトイレ替わりに使っているとのこと。むしろ、雇用主からの非人道的なアドバイスがあるのだ、という告発・スクープ記事なんだろうか。「女工哀史」ならぬ「トラック野郎哀史」がある事実を! ということか。 

それにしても、小便を車外にポイ捨てをするのは言語道断ぞい。あるまじき行為で、見咎められれば犯罪として立件される。そんな雇い主の好い加減な話に載せられてはいかんぞ!

けじめをつける良心的ドライバーは、ペットボトルを利用しつつ、サービスエリアの公衆トイレにきちんと流し捨てる。道理を弁えたトラック野郎もいることを知ってほしい。(※追記)

それにしても何故、「人間」を捨ててもである。自分の排泄したものを、公共空間にたれ流すのは犬猫以下ですから。彼らはご主人様がフォローしていることを認知していますからね。

 

小生はたまに大型トラック、コンクリートミキサー車を運転している女性を見かけることがある。見かけるというか、見上げるのだ、運転席が高いぶん。

大変だなと思うし、カッコイイと思う。少々齢がいってようと美しく思える。素直に「がんばれよ」と、声をかけたい。
彼女らはぜったいにペットボトルを、それ用には使わないだろう。彼女らなりの知恵と工夫を駆使して難局をくぐり抜けているはずである。

 

下品な話でスルーしたかったのだが、あまりにトラックを運転している一部の男の見苦しい記事を読み、これはあまりにもモラル的に「男女差」がありありと感じた次第。
こういう記事を書かせたのも、魂を孕む何ものかと感じ、しかたなく載せることにした。

 

 

 ▲こういう記事を「端たない」って言ったりして。分かんないんだろう―な。


(※追記):ペットボトルからトイレに流すことさえ最低なことだ言われた。今は、渋滞でも対処できるよう緊急用の簡易・携帯トイレがあり、それを使うのが常識とのこと。ペットボトルを廃棄する場合には、キャップ栓とラベルを取り除いた後で、専用の資源ごみに捨てなさいということです。いま、ペットボトル・ゴミはリサイクル資源!



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