小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

JKの俳句に覚醒

2016年09月14日 | エッセイ・コラム

 

一か月以上も間をあけてしまった。ある種の内的混乱に陥ったのかもしれない。生活の基本は変わらず、何かの支障があったわけでもない。自分が語りえるもの、貧しい概念でも表現したいものがあったはずだ。

その輪郭を見失ったのは、胆力とか根気のせいにはしたくない。だが、よく考えてみれば、「老い」を衒いなく受け入れる自分がそこにいる。でもそういうことはよくある、とモンテーニュも書いていなかったか・・・。時間をかけて呆けた輪郭線を、少しずつでも明示させていこう。

語りたいことはたくさんある。現実は想像を上回る速度で、劣化と飽和に向かっている。喰らいつきたいところだが今は無理だ。


前回は高校生の俳句のことを書いた。それを受けて、今回は同じ話題にふれる。

高校生の「俳句甲子園」というものを最近知った。新聞で読み、書き写した句もあった。そして、テレビでその特番をみた。多くの方が注目されたであろう。結果は開成高校が優勝し、準優勝は東京家政学院のJK5人組チームだった。

私はこの女の子たちの言葉づかいに慄いた。大胆で鋭利な発想、感性は、まさしく俳人の創作慾に近いか。

▲「松山俳句甲子園」のホームページに掲載されていた写真を使わせていただきました。下の写真も同様。

予選では家政学院は開成Aチームに敗れ、敗者復活から勝ち上がってきた。そして準決勝で開成のBチームと対戦し勝利した。そのときの句題のひとつ、「利」だったのだが・・。

利口な睾丸を揺さぶれど桜桃忌

2対2の五分でぶつかり、最後の大将戦の古田聡子作。この句の出来があまりにも凄く、作品の鑑賞をめぐるディベートでも開成Bをたじろがせたと思う。太宰も天上で少しは揺さぶられたに違いない。

「渡り鳥」をテーマにした、「鳥渡る祖父のあるいは禁色か」も秀逸。これも三島由紀夫を彷彿とさせる文学ネタで面白く、イマジネーションを刺激する。こういう素材は単なる技巧に陥りやすいが、言葉の配置が瑞々しく好感がもてる。家政学院を指導する担当の先生は俳人ではないだろうか。彼女たちの言葉を渉猟する方法がプロ級だ。電子辞書、スマホ、図書館などを駆使し、言葉の吟味、研鑽も素晴らしい。

次の二つもいい。

詩篇には水爆忌なし獲の狗尾草(えのころくさ)

藍浴衣ことばは人間を使ふ

優勝した開成は2チームが出場していて、レベルも相当高い。俳句づくりの伝統的な校風があるのだろうか。

聖堂は営利に立ちて旱星 (ひでり星)

尾根道の果ての蝿取りリボンかな

上海の尾灯にまみれたる氷菓

サーカスの獣はしづか天の川


※高校生の俳句は「拙い」、「世間や現実を知らない」など、ネット上では批判的な感想が多くみられる。だが、この俳句甲子園のレベルは、五万といる俳人気取りの大人たちに負けてはいまい。ガンバレ




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