小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

上野の山へ、初吟行

2019年11月17日 | 日記

ご近所の方に誘われて、初めての句会に加えさせていただく。師匠筋の方が引退なさり、女性5人の小さな集まりであるが、よかったらどうぞと以前より声をかけてもらっていた。

当季雑詠というのだろう、自由に作句してよいとのこと。場所は、上野の国立博物館の庭園であるが、イチョウ、モミジはまだ青々しく、冬を感じさせない。気候温暖化のせいで、いまだに初秋の趣とは、俳句をつくるリズムさえ狂う。

庭園は思ったよりも広く、奥行きもある。円山応挙にゆかりのある館、書院造りの住まい、お茶室や庵など風情のある建造物が多いのに驚く。以前に来たことがあるのだが、俳句づくりのためとなると別の印象。初めて訪れた場所になる。

日本庭園の池には十羽以上の鴨たちも浮かぶ。園内の木々から聞こえる渡り鳥たちの囀り。さすがに花は咲いていないが、句をひねるには申し分ない自然環境といえるのか・・。とはいえ、予想通りひと様が鑑賞するに値する、自信作はすんなりと生まれない。いちおう初参加というべき挨拶句を用意していたのだが、当日になると、どうも貧弱な句に思えてならない。

何でも気になるもの、印象に残ったものはメモしておくようにと、愚生がうろうろとする様子を見かねて、先達にアドバイスしていだだく。

実作として10余り出来たが誇るべき句が一つもない。最終的になんとか5句を選んで提出した。「小春日和」を使いたい句があったが、それは秋の季語だと言われ引き下げた。晩秋から初冬にかけての季語だと勘違いしていた。

恥かしいが実作の5句を載せる。

句をひねる男になりて冬の苑
初句会ただ徘徊し冬の庭
灯篭や深く眠りし日向ぼこ
蹲(つくばひ)の細き流れや冬の入り
陽のあたる茅葺屋根に和む冬

最初の句は、挨拶句として作ったもの、あらかじめ用意していた。次の句もそうだが、その場でつくり直したもの。いずれも客観的にみて、平々凡々の句にとどまっている。もっと瞬間を切り取るような、鮮やかでシャープな句が、自分としてはのぞましいのだが・・。

▲庭園ふくめて国立博物館そのものは、寛永寺の境内であった。茶室も5坊あるがすべて移設されたものだ。維新の戦争で彰義隊の少年たちを偲ぶ句を作りたかったが果たせなかった。

▲「応挙館」は尾張の天台宗寺院・明眼院の書院(1742)を移設したもの。円山応挙が眼病で滞留し、墨画の襖絵を描き残した。入館できず。
 
 
▲この蹲(つくばい)を見て作句した。選出されたが、出来は自分としていま一つだ。

▲この茅葺の茶室を詠んだ句も選出された。嬉しかったのだが、冬らしい風情は弱い。視点を変えるとか、措辞をもっと凝らす余地あり。精進したい。


追記:落としたその他の句

佇むと赤き落葉は火の匂ひ
寛永寺ああ彰義隊生身魂(※)
鴉哭き水面に震ふ枯れ芒
博物館の叡智に染むや冬紅葉
古の小春日和の何たるや

いかにも作意、小手先の措辞が顕わで自重した。しかし、活字にすると入れ替えたいものがある。大胆さと細心さの見きわめ、バランスだろうな。
 
(※)彰義隊を偲ぶ句を作っていた! 提出するとき書き損じ、忘れていた。それは生身魂」が、秋の季語と分かり退けたのだ。この辺の取捨選択、勘所が難しい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。