小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

過去に目を閉ざすものたち

2019年05月08日 | エッセイ・コラム

東京新聞に連載している斉藤美奈子の『本音のコラム』。今週の(5月8日)タイトルは「ネトウヨ検定」で、現在公開中のドキュメンタリー映画「主戦場」にふれている。話題になっているのか知らないのだが、いわゆるネトウヨの世界観を知るための格好の映画らしい。

慰安婦問題の真実を追ったミキ・デザキ監督のドキュメンタリー『主戦場』予告(1分50秒)↓

▲渋谷のイメージフォーラムで現在公開中。にわかネトウヨか、研究者向けのドキュメントであろう。ミキ・デザキ監督は日系のアメリカ人とのことだが・・。 ネトウヨのオピニオンリーダーが多数登場し、慰安婦問題やら強制連行の事実のあるやなしを得々と語るのだが、斉藤女史によると「自ら墓穴を掘るわ掘るわ」とのこと。


ネトウヨ的な狂った歴史認識をもつひとは、一部の特異な人々だけでなく政財界にはかなりいるというのが、もはや今日の定説となっている。「ネトウヨ検定」を創設したらどうかと、女史は冗談のように提案する。安倍首相はじめ自民党議員らの多くが、検定試験では高得点をはじき出すのではないかと揶揄する。彼女ならではの辛辣なコラムだった。

過去におきた受け入れがたい事実、おかした間違い。そうした負の遺産は封印できるものではない。まして被害者側だけでなく第三者から検証され、その事実が認定されたならば、覆すことは決してできないはずだ。

ナチのホロコーストという峻厳なる過去の事実を、「それはなかったことだ」とごく少数の人々が主張したことがあるが一笑にふされた。まして、普通の、真っ当な人たちからは相手にされない。

歴史認識を持ち合わせない、過去の事実を客観的にみることができない。そういう人々は、自分に都合のいい世界観を勝手につくりあげる、自分に甘く、弱くて可愛そうな人々だと見なされるしかない。

しかし、そういう悲しく痛い人たちが集まり、多勢になり力をもつようになると、政治的なイシューとしての効力を発揮するから怖い。

過去は修正できないし、事実は隠蔽されても必ずどこかに、その真実性は何かしらのカタチで立ち現れる。このことの例証として、ドイツ戦後の40年目の節目、ヴァイツゼッカーの有名な演説のほんの一部を引用する(彼は「ベルリンの壁」の崩壊後に東西ドイツ統一の大統領になった)。

問題は過去を克服することではありません。さようなことはできるわけにはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。


このヴァイツゼッカーの演説は、1985年の奇しくも今日5月8日という同じ日付、彼が西ドイツの大統領のときの「ドイツ敗戦40周年記念演説」において語られたものだ。ドイツが過去についてどのような責任を負い、それにどう立ち向かうかを説いた「荒れ野の40年」という歴史的演説である。今日という5月8日に、本記事を書いたことは、何かの巡りあわせなのかもしれない。



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2 コメント

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Unknown (山猫軒)
2019-05-09 17:48:21
過去に目を閉ざす、どころか、勝手にあったことを無かったことに、無かったことをあったことにしてしまうと言う愚行をスマホに没頭する日本国民は何も考えずに受け入れてしまう恐ろしさを感じます。
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Unknown (小寄道)
2019-05-10 13:10:49
四六時中、自分の好きなことを見、好きな友人とラインと繋がる。関心あること、興味をもつことにしか目を向けない。
それがスマホの効能だとしたら、人はどうしたって偏るでしょうし、過去に学ぶことはないでしょうね。困った世の中になりました。
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