小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

善悪の彼岸へ、ウィルスのこと

2020年09月07日 | エッセイ・コラム

愛よりなされたことは、つねに善悪の彼岸に起る。(153) ニーチェ (新潮文庫)

 

地球誕生からの歴史を「一年史」で譬えると、我々人類ホモ・サピエンスは、大晦日、それも最後のほんの数秒を生きているにしか過ぎない。ウィルスはといえば、新緑の美しい5月の初めごろに誕生したらしい。
ウィルスは自然のなかの生物に寄生し、揺り籠の中にいるかのごとく静謐を保っていた。地球生態系の安定した、収まりのいいポジションにいたのだろう。

一方、狩猟する人間は何を思ったのか、森を濫伐、開拓し、植物を利用しはじめた。そして、野生動物の一部を家畜にした。農業と畜産、林業と牧畜、漁業への分業が進み、人類はさらに繁栄した。この地球では、人類はほんの駆け出し、超・新参者だ。なのに今や、我がもの顔で地球にはびこり、自然という豊かなリソースを勝手に独占している。

ウィルスが人類に牙を剥きはじめたのは、たぶん1万年前ぐらいからと考えられている(多人種間の交流が活発化するか、10万人以上の人口規模がないと、感染病は流行らないとされる。したがって、文明の発生時期とされる1万年前が妥当であり、重要な意味をもっている)。

ウィルスとしての存在が明確になったのは、ほんの100年余り前。たばこの葉っぱにモザイク状に斑点を起こす病原体があり、それは細菌よりも1000分の1以上も小さな微粒子として認められた。細菌を除去できる特殊なフィルター(陶器に近い)を使うことで、ウィルスの存在が類推されたのだ。(電子顕微鏡の開発は1932年、天然痘ウィルスの姿を電子顕微鏡でとらえたのは1939年)

▲電子顕微鏡でとらえたタバコモザイクウィルス。微生物というより物質、なにかの結晶みたいだ。

ウィルスという名前はラテン語で「毒」を意味する。命名されたその時から、ウィルスは人間にとって害のある存在、敵対するものとして認識されたということだ。確かに、電子顕微鏡によってさまざまな病気、特に感染病における病原体は、得体のしれないウィルスだったことが次々と判明した。

ローマ帝国が東西に分裂する原因ともいえた「牛疫」。何千万人もの命を奪ったパンデミックの元祖「スペイン風邪」。そして、日本人にもなじみ深い感染病、「天然痘」や「麻疹」などは、ウィルスが病原だった。まさにウィルスは、人類の敵としてみなされ、気鋭の研究者、多くの医学徒がウィルスの解明(分子生物、病理、免疫、医療、ワクチン開発)のために心血を注いだのである。

『ウィルスの意味論』の著者である山内一也氏は、東大農学部畜産科を出て北里研究所へ。天然痘や牛疫のウィルス研究、撲滅に貢献。研究の大家でありながら、穏やかで飾らない人柄だ。危険なウィルス感染病と永年闘ってきたとは思えない。ご高齢なせいか、声はか細く、ゆっくりとした口調だが、正確で淀みがない。

「ウィルスは究極の寄生生命体なんです。代謝しないから、生物ではないという説もある。生命活動をしている点において、私は、生物とみなしてもいい思う。ただし、自らは増殖はしない。ウィルスは、遺伝情報をもつ核酸(DNAもしくはRNA)と、それを覆うタンパク質や脂質の入れ物からなる微粒子にすぎません。設計図に従ってタンパク質を合成する装置もありません。しかし、ひとたび生物の細胞に侵入すると、タンパク質合成装置細胞をハイジャックし、ウィルス粒子の各部品を合成させ、せっせと組立てさせて、ウィルスは大量に増殖します。ある意味で、ウィルスは「生きており」そしていずれ「死ぬ」。ただし、生物の生死とおなじではない。借り物の生命と呼ばれることもあります。」(談・著書をあわせて要約)

▲1931年生まれ、現在89歳。写真は70歳代頃のもの。コロナ禍のなか、Eテレの「心に時代」「ハートネットTV」の2本に出演。観られたのは幸運だった。

▲多田富雄の『免疫の意味論』にならぶ名著だ。最近、おなじくみすず書房から『ウィルスの世紀』が上梓された。

そうやって感染したウィルス群は、その寄生する宿主と折合いがつけば、そこで安定する。その真相、メカニズムはよく分からないが、落ちついていて増殖しない。ウィルスは「代謝」しないからエネルギーを作らない。自力で増殖しないから、その必要がないのだ。

我流の解釈であるが、自然宿主とウィルスの関係が穏やかであるとき、宿主の免疫系は、ウィルスを敵と見なさず、攻撃をしない。将来にあって、このウィルスは見どころありと、進化に寄与するのではないかと・・。そんなふうに宿主生物は、期待しているのかもしれない。それとも単純に共生の協定を結んでいるのか、なぞと愚生はいろいろ夢想してしまう。(※注1)

ただし、折合いがつかなければ、ウィルスは爆発的に増殖し、他の細胞へと侵食する。ウィルスが細胞内でじっとしている期間を「暗黒期」というらしい。(感染しても無症状である、そのことをいうのか・・。追記:新型コロナは無症状でも、低い確率だが、濃厚接触者に感染する。決して0%ではない)。

気管や肺、血管の組織細胞にウィルスが入り込み、増殖するのがいちばんの脅威だ。そのとき宿主側の免疫系との壮絶な死闘が繰り広げられる。それは人間だったら、生死をさまようほどの発熱がでる。

さらに怖ろしいのは、新型コロナの場合、免疫系のTリンパ球が、感染した己の細胞を破壊する。自傷というより自滅だ。それらの残骸が血栓となって血液を詰まらせ、血流や臓器の機能不全を招く。その結果は明白だが、医療はいまギリギリ踏ん張っている。

 

ところで、私たちの遺伝子は、そのゲノムの8%程度がレトロウィルスの遺伝子に由来することが判明されている。なかでも、生命誕生における精子の一匹が卵子に辿りつき、殻を破って入る。そのメカニズムは、ウィルス由来の遺伝子が作用しているそうだ。前述したように、ウィルスは寄生する宿主の細胞内に入りこむ、まさにその感染のメカニズム、動的パワーが、生命誕生の神秘、源泉でもあったのだ。

ほかにも、哺乳類における「胎盤形成の際にきわめて重要な役割をはたすタンパク質が、内在性レトロウィルスの遺伝子から発現している」とされる。胎児といえども母親にとっては非自己である。免疫は非自己を攻撃し、食べる。しかし、そうならないメカニズムが胎盤に備わっている。母親からの栄養などを血液で運び、反対に赤ちゃんの体で発生した二酸化炭素や老廃物などを母親の血液に戻す。考えてみれば、奇跡にちかい交換の力だ。これもまた、ウィルス由来の神秘のメカニズムだ。(※注2)

これらの研究によって推量されるのは、私たち人類のヒトゲノム(遺伝情報)は、ウィルス由来のものがたくさんあり、また、ウィルスの影響によって変異させられたゲノムもあるだろうということだ。

ウィルスが宿主とするものは、すべての生物だと考えていいのか。細菌を宿主とするウィルスも多数あり、私たちの生命活動に多大な貢献をしている腸内細菌の数々、それらを宿主にする未知のウィルスがいても不思議ではない。(人体には1500兆個のウィルスがいるらしいが・・)

かつて山内先生が一般人向けの、ウイルス・セミナーを開催したとき、参加者の発言、問いかけが「目からうろこ」になった経験を語った。それは、「細菌に善玉があるように、ウィルスにも善玉があるのでしょうか」というものだった。山内一也にとってウィルスの見方を大きく変えたひと言だったらしい。善玉細菌に寄生し、共生するウィルスがいれば、もちろんそれは善玉だということだ。

ウィルス側からすれば、人間によって絶滅させられるよりも、善玉の顔をして気に入られる方が生存戦略としてよい。なにせ30億年以上も生き延びてきた彼らだ、人類が滅亡するかしないかは、まったく関わりのないことだろう。いやいや、地球環境を激変させた仕返しとして、人類の滅亡を虎視眈々と狙っているかもしれない。真夏の夜は寝苦しく、ウィルスの悪魔のような囁きが聞こえ、何度も起きてしまうのは私だけか。

 

(※注1)自然界におけるウィルスのふるまいを考えるうえで、「宿主域」という重要な概念がある。ある特定のウィルスは、多くの場合、特定の宿主生物にしか感染できない。それを「宿主の壁」とも呼ぶらしい。「宿主域」が限定される理由のひとつが「レセプター(受容体)」だ。ウィルスが宿主動物の細胞に侵入するには、まず、ウィルス表面のタンパク質が、宿主生物の細胞表面にある何らかの分子と結合しなければならない(ウィルスが植物の細胞に侵入するメカニズムはまだよく分かっていない)。この細胞表面の分子を「レセプター」と呼ぶ。(以上、高田礼人著『ウィルスは悪者か』による。この本については改めて紹介したい。)

高田礼人氏は現在、北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター教授。昨年だったか、致死率最大90%にもおよぶ「エボラ出血熱」治療薬開発のクラウドファンディングのプロジェクトに成功し、こちらの方に精魂を傾けていると思われる。以前、TV「情熱大陸」に出演したとき、危険を顧みない行動の裏には、驚くほどの慎重さ、精緻さをもった研究者魂がある人だと印象に残っている。文武両道のユニークさも好感をもった。ただ、今回の新型コロナに関しての意見、考え方など発言がないのは淋しい。

 

(※注2)レトロウィルスの起源、由来について。その一つに「宇宙飛来説」がある。SFネタでもあるが、ノーベル賞級の科学者がそんな仮説を提供しているらしい。しかし、地球だって、宇宙の一部であるわけで、すべて宇宙にあった物質で構成されている。それに30億年前に飛来したかどうかを検証するなんて、土台無理な話だ。

そんなことより、地域・環境・宿主別によるウィルスのゲノム解析の研究が先だろう。さらに、ウィルスの交叉、変異などのパターンを科学的に追究できないだろうか。これって、素人の夢想にちかい提案でしょうか?

 


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