小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

小熊さんの新書

2015年09月09日 | 本と雑誌

 

この稿はたぶん引用が多くなる。読んで下さる方がいれば、その点を差し引いて考慮していただければ幸いです。

小熊英二の近著・岩波新書「生きて帰ってきた男__ ある日本兵の戦争と戦後」を読んだ。400頁近くの、かなりの読み応えのある新書で、発売されてすぐに買い求めたのであるが、同時に7,8冊読む悪癖があるので、今日ようやく読み終えたのである。この本は今年度の小林秀雄賞もとり話題になっている。読んだかたもいるだろうが、私は歴史社会学者・小熊英二のべつの面も知っているというか、彼の出自・家庭環境がどんなものかという興味もあった。が、いい意味で予想外であり、この父にしてこの子ありという感慨をふかくした。

この本はまた、小熊英二の父親、小熊健二氏ひとりを対象に、個人の視点から戦前、戦中、戦後の変遷を、いわば昭和の社会通史として著わしたものともいえる。小熊健二氏は自らを「下の下」と語るように地方の下層社会で生まれ育ち、下積みの労苦を厭わず働かなければならない境遇であった。大正14年生まれというから、私の母親と同じ年の生まれで、「青春時代、人生のいちばんいい時を、ぜんぶ戦争に奪われた」と母が嘆いたように、大衆が翻弄された「昭和」という時代をまさに体現した人物といえる。また、4年間ほどもシベリア抑留体験があるということも関心を注いだ。いまはある事情があって交際が途絶えている親友の父親が、シベリア抑留経験者であり、そうした経験を一切語ることなく、息子の友人として私のことをいろいろと厚遇していただいた。二十代になって内村剛介など読んでいた私は、その方から抑留体験を直接ききたかったのであるが、残念ながら果たせなかったのである。だから「生きて帰ってきた男」は、身につまされる本でもあった。

読んでいない方もいるとおもうので、先に述べたように引用は最小限にとどめたい。この著作は小熊英二が父親から聞き取りをしてまとめたものであり、父親自身が語った言葉を実直に引用し、かつ小熊英二が冷静かつ客観的に叙述している。その引用された謙二氏(父親)の語る一言ひとことが痛切で、正鵠を射たものといえる。私が深く感じ入ったものを選んで紹介したいし、私自身のための備忘録ともしたいのである。

補助として、小熊英二が「あとがき」でこう概括している。「学術的にいえば、本書はオーラルヒストリーであり、民衆史・社会史である。社会的にいえば「戦争の記憶」を扱った本であると同時に、社会構造変化への関心にも応えようとしたものである。

 

 

 

「頭で考えて割り切る人は、そういう考えになるのだろう。しかし、現実の世の中の問題は、二者択一ではない。そんな考え方は、現実の社会から遠い人間の発想だ。」

「そういう考えはなかった。どんな境遇になっても、人間はつねに希望を見出す。シベリアにいたときもそうだった。」

若い時期を結核で失った謙二にとって「下の下」から浮上するチャンスはないものと思われた。「日本の社会というものは、いちど外れてしまうと、ずっと外れっぱなしになってしまう。」

「・・・中学生のころは、クラスのなかで同級生が、中国戦線から帰った兵隊からもらったという写真を内緒でみせあっていた。捕虜の中国人の首を、軍刀でちょん切る瞬間だった。中学生でもそういうものに接する機会が、当時の日本にはよくあったとおもう」

「だから南京虐殺がなかったという論調が出てきたときは、まだこんなことを言っている人がいるのかとおもった。」

「本でしか知識を得ていないから、ああいうことを書くのだろう。残虐行為をやった人は、戦場では獣になっていたが、戦後に帰ってきたら何も言わずに、胸に秘めて暮らしていたと思う。」

「自分は他者に厳しい態度をとる人は嫌いだ」

「むちゃくちゃな戦争をやった責任も明らかにせず、戦争に負けても制度のつじつまだけをあっていればいいという姿勢だ。
高級軍人には恩給を出しておきながら、俺たちには10万円の国債と、銀杯をくれるという。しかも天下りの役人が仕切っている基金を作ってだ」
「こんなものごまかしだ、と思った。金額がわずかでも、敗戦直後ならありがたかったろうし、国も大変なのによく出したと感謝したろう。しかし、いまさら金なぞいるか、意地でもいらない、と思った」

「無念さはよく理解できるが、希望的情報や観測を伝えることは、結果を考えると罪なことになる。」

「そんなことにかかわったら面倒になるとか、まわりの評判に気を遣うとかは、まったく考えなかった。
何を気にするというのだ。どうせ「下の下」で生きてきた身だ。自分は人の評判とか、何を言われるかといったことは気にしない。」

 

まだまだあるのだが・・。新書の帯のある言葉がすべてを物語るかもしれない。

未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切だと思ったかという問いである。「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」そう謙二は答えた。


最後に・・。

小熊健二氏は約5年程のシベリア抑留の後、帰国してからも5年間におよぶ幽閉状態の結核療養を体験。完治したのち、粉骨砕身して高度成長の波にのりながら事業を営んだ。さらに老境に達してから戦後補償やシベリア抑留体験のある在日の方の法廷闘争にも尽力した。生誕から現在までの、ひとりの男がどう生きたか・・。貧困、家族離散、病苦、身内の死、そして平均より上のある程度の豊かさを享受できるまでのライフストーリーとしても読める、一級の本である。

 


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