小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

五年目の春

2016年03月11日 | 日記

 

あの日から五年の歳月が経った。今日は曇天だったが、そのぶんひっそりと静かな感じがした。

去年はすっきりと晴れわたり、穏やかな春を感じた。あの時間には往来にいて青空を見、思わず東北に流れゆく雲に祈った。

今年は自宅にいて、北に向かって黙祷。天皇の御慰霊の言葉には深く感じ入った。私が生き続けるかぎり、今日という日には同じことをするだろう。

 

大飢饉、大地震を続けて経験したという、鴨長明が生きた頃に想い馳せる。天変地異にたいしては、抗うすべがない時代(いまもそうだが)。人々はただただ祈り、南無阿弥陀仏をとなえたであろう。

仏教だけでなく、神々への信仰は、誰彼に等しく心の安らぎと、希望をもたらしたのであろうか・・。

癒されず救われず心折れた人たちも、祈りを重ねて、心身をととのえた。そして、苦境を克服するために思い定め、ある種の諦観というか、その人なりの心境に至ったのではないか。であるから、長明は後年「方丈記」を書いた、いや書けたのであろう。

 ゆく河の流れ絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。

 朝(あした)に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方(いづかた)より来たりて、何方へか去る。

 山はくづれて河を埋み、海は傾きて陸(くが)地をひたせり。土裂けて水湧き出て、巌割れて谷にまろび入る。ただ恐るべかりけるは、只地震なりけりとこそ覚え侍りしか。 (以上、任意に引用)

残念ながらつよい信仰のない私は、鴨長明のごとく超俗の身でもなく、世間のしがらみにまみれた「諦め」しか持ち合わせない。無論のこと、達観もできず、老境の域を楽しむという世間知も、それを埋め合わせる財もない。

それでいいのだ、というのが偽らないところの諦観か・・。

そんな私でも、あの日を経験した子供たちの表情(それは希望と勇気をあたえてくれた)を忘れない。

何故ならいまも毎日、わたしの心に刻みこんでくれているからだ。ありがとう。

 

▼PCの後ろ側。額に入れて毎日ながめる写真。5年目。

 

 ▲ニューヨークタイムズ・アジア版。 マイケル・マインズという写真家が3月22日に気仙沼で撮影したもの。

 http://www.nytimes.com/2011/03/23/world/asia/23graduate.html?_r=2

〇 2011/7/6の記事、「見つかった写真」で、この写真について書いている。

 

最後に、鴨長明がはじめて歌つくりとして認められた歌を紹介する。藤原俊成によって選ばれ、千載和歌集に載った一首である。

思いあまりうちぬる宵の幻も浪路を分けてゆき通いけり

恋の歌だとされる。人によってはなんてことのない歌だという。震災の復興を祈念する方々に、恋の歌はふさわしくないかもしれない。しかし、人を恋する歌、思慕する歌は、人の魂を揺さぶる言霊を秘めている。その強い思い、祈りを、相手に届けんかなと願う、心に響く言葉はそうそう紡ぐことはできない。長明は若いとき、パッションを持っていたのだ。歌を詠みかえるのは自由、その自己流解釈に免じて許していただきたい。

少なくとも津波にさらわれ、いまだ行方の知らない方々がいる。水底に眠る魂を鎮めたいと、たくさんの家族が願っていらっしゃる。「浪路を分けて」、海の彼方に行ってこそ、ほんとうの安らぎを得られるのではないか。そうした思いを、生半可な私が詠めるはずもない。今年は長明にあやかることにします。

 

方丈記の後段にこんなフレーズがある。

身は浮雲(ふうん)になずらえて、頼まず、まだしともせず。うたたねの枕の上にきはまり、生涯の望みは、おりおりの美景にのこれり。※

自分の身を浮雲に例える漫画もあるが、何事も頼らないし、あてにもしない構えはいい。うたた寝する気軽さをもって、四季折々の自然の美しさを恃むこと。それがせめてもの希望、この上ないことだと、思うような老人がいてもいいだろう。

後段の一説からの引用だが、岩波文庫や底本等にはない。いわゆる流布本にしかない一説であると、角川文庫には注釈があった。但し岩波文庫によれば、この流布本を一条兼良のものとしている。補注があり、この一説が記載してあった。角川古典文庫には「まだしとせず」、「をりをり」とあったが、私は岩波の「まだしともせず」、「おりおり」の表記のほうが良いと思い、これに倣った)

 

 

 


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