小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

小児性強弁を平気でつかう人たち

2017年06月01日 | 日記

 

 

 政治というものは、私たちの暮らしの実体そのものである。私たち人間の関係性を公正なものとして見なし、その上に築きあげられる。そこに虚構性はさらさら存在しない。人間の営みの確かさらしさが実感できる、そうした嘘偽りのない力学と正当がほしい。と、そうあって然るべきだと思っている。

だから、私たちを代弁してくれる明晰な人、公正な人が選ばれてほしい。政治という「場」では、つねに厳しい精査に晒され、自己点検が求められるからだ。

要するに信頼にたる人に任せたいのだが、清廉潔白を至上のものとして求めない。人間の判断、行動は完全ではないからだ。拙速もあるし、失敗もある。

許されないのは、口から出まかせを言う人。明らかに嘘と分ることを、堂々と述べる人。他者を無視しても、強引に押し通す人たちだ。即刻、政治の世界からご退場願いたい。

最近、私たちを代表する政治家の言動がどうもおかしい。それも権力の中枢であり、国政の頂点ともいうべき、日本の総理府・官邸から発せられる言動がおかしい。常識や礼節、道理さえも忘れてしまったのではないか。常軌を逸したのか、そこまで落ちてしまったのかと慨嘆してしまうこともある。

小児が使うような、見え透いた「強弁」や「欺瞞」を押し通すのだ。「詭弁」でさえ理知で計れるロジックがあるものだが、それにも達していないレベルの文言を平気でつかう。

「俺が黒といったら黒だ」とか、千円で買えるものを「俺が一万円の値をつけたから売ってやる」ぐらいの感じ、押しの一手、暴力的といっていい。

詭弁なら、あるていど常識を踏まえ、そこそこの論理を使う。相手をだます、丸め込むというテクニックがある。

安倍首相の身辺にいるお仲間たちは、そうした小児性の「強弁」を知ってか知らずか、ここぞという肝心なところで使う。 

もはや「民主主義」という制度が「多勢に無勢の数の論理」に、あるいは「ポピュリズム」なるものに変質して、権力の中枢に逆らうものは除外されつつある。無視されるならまだしも、腕づくで排除される嫌なムードさえ漂う。

価値観が多様になり、一方で何が正で何が悪か判断のつきにくい混迷の時代。強い信念で明快なことを述べる人は、もはや、分からないことや難しいこと、都合の悪いこと、面倒くさいことを断捨離したのだと言いたいのか。だとすれば、末期的だというしかない。

 



以下は前文を裏付ける新聞記事、記者会見等の言説、事実関係を自分なりにまとめたものに過ぎない。新聞やネットのまとめサイトにあったものを整理したもの。参考までに自分用にまとめたもので、たんに確認のために記載、わざわざ読んでいただく必要はない。

①まず、国連の特別報告者ジョセフ・ケナタッチ(Joseph Cannataci)(※)という人に関してのこと。

共謀罪に関する評価と、日本国民のプライバシーについて 以下の点を国連側は指摘した。

●「『計画』と『準備行動』を構成するものの定義の曖昧さゆえに、法案が恣意的に適用されるリスクに対する懸念」が明らかにある。

●「テロリズムとも犯罪ともいかなる関係も見られない」犯罪のリストが含まれていることに疑義を呈し、「プライバシーと表現の自由の保護に対する不適切な抑圧」のリスクがある。

以上は書簡にて日本政府に送付したそうである。

その書簡をうけての日本政府の反応

菅官房長官は「特別報告者という立場は独立した個人の資格で人権状況の調査報告を行う立場であり、国連の立場を反映するものではない」と強調。「プライバシーの権利や表現の自由などを不当に制約する恣意的運用がなされるということはまったく当たらない」との見方を示した。「政府や外務省が直接説明する機会はない。公開書簡で一方的に発出した。法案は187の国と地域が締結する条約の締結に必要な国内法整備だ」と反論した。

▲菅官房長官は国連に対して最終的に、「まったく不適切であり、われわれは厳重に抗議する」と反論した。

 

⇒何が、どう、なぜ不適切なのか、その理由を示さない。示さないのに厳重に抗議することはできない。紋切型の文言で抗議文としての体をなしていない。外務省で別途それを送付したのなら、全文を公表するのが筋であるが、その事実も見えない。口頭であれ、文書であれ、国際連合という組織への応答としては大変に失礼である。また、この失礼さが国際的慣習、規範にも逸脱していることに気づいていない。「抗議する」という言葉を使うことで、国体として威信を保っているという錯覚が見て取れる。これは戦前の、明治期の政治家のメンタリティーと全く同じある。国際性、現代政治性を欠落させた恥ずべきもので、これを発信した日本政府のみならず、彼らを選出した国民まで軽蔑されてもおかしくない。  「私見)


以上の経緯、事実を受けて、イタリア・サミットの後、5月27日に安倍首相と国連のグテレス事務総長が会談した。その会談内容を外務省が公表したが、なんと翌日、国連側はその内容について疑義を呈した。「日本政府は自分たちに都合よく、あたかも内容を歪曲して発表している?」と東京新聞では伝えていて、以下の通り。

「共謀罪法案」に懸念を表明した国連の特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏について、肩書きにあるindependent  を外務省は「別の個人の資格」と訳した。つまり国連を代表する人間ではないとミスリード。グテレス事務総長はそのほかにも、「日本と韓国との合意によって解決されるべき問題であることに同意した」としつつ、「特定の内容について意見を述べなかった」と説明。

 (※)国連のプライバシー権に関する特別報告者とは、国連の人権理事会の任命を受け、各国の人権侵害などの状況を調査・監視・公表する専門家だ。各国から独立した立場におり、調査した内容は、人権理事会や国連総会に報告する。


②前川喜平氏に関すること

前川喜平氏は首相補佐官の和泉洋人氏から「対応を早く」との要請をうけた。そのことの一連のやりとりを文科省専門教育課に文書として残した。現在、それは確認とれない。

ただ、前川氏は内閣府及び官邸からの意向を文部大臣松野博一には報告していない。


●自民党 竹下亘国対委員長 前川氏の証人喚問について「明確に必要ないと思っている」と拒否する考えを重ねて示す。その理由を問われると「必要ないというのが理由だ」と強調。

⇒首相補佐官の和泉洋人氏という氏名がでてきた時点で、対人間としての物理的接触があったことがわかった。明らかに組織的な力関係が推測される「対応を早く」、「要請」という文言がある。この事実だけでも「証人喚問」の要件を満たしているから、竹下亘国対委員長はその対応を想定したはずだ。閣内、官邸などと協議し、いわゆる総理の意向も確認したからこそ「明確に必要ない」という文言が発せられたのだ、と考えるしかない。「明確に」とは比較・相対という検討という行為があって使われるもので、そういう時間と労力を経ての国対委員長としての、「責任にある」言葉である。だから、「その理由は」と問われると、「必要ないというのが理由だ」という自信に満ちた、反面、人を舐めきった返答をして煙に巻いたのである。  「私見)


山本幸三・地方創生大臣の「学芸員はガンであるから一掃しなくてはいけない」という発言

 山本幸三・地方創生相が4月16日、滋賀県大津市で開かれた地方創生に関するセミナーの中で、観光振興をめぐり「一番のがんは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ」と発言した。・・・・いい加減、書いてきて心が疲れてきた。

(そのまま「折れてしまえ」と思う人が日本には多いのが、この国の危ないところなのだ。ネットで検索すると、彼らの「強弁」を支持する反応が実に多いのだ。)いったん筆をおく。


ブログを書いている本来の「一服の憩」がまったくないので、最近咲いたサボテンの花を掲載させていただく。


       



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