小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

『そこにすべてがあった』を読む

2022年02月26日 | 本と雑誌

 

『そこにすべてがあった』という書名は、本の内容を的確にしめす題名とは思われない。だが、装丁をトータルにみると、この暗示的な言葉は惹句としては良い。副題に『バッファロー・クリーク洪水と集合的トラウマの社会学』とあり、これでおおよその見当を知ることができる。

著者はカイ・T・エリクソン、出版社は「夕書房」という会社。地元の本屋の、社会科学系のコーナーに4,5冊ほど平積みされていた。本の裏表紙に、簡潔な紹介文が印刷されていて、さらに目次を見てから即行買い購めた。

1972年2月26日、大雨で鉱山ゴミの堆積でできたダムが決壊、アメリカ・ウェストヴァージニア州の炭鉱町バッファロー・クリークは、雨水とボタが混ざった黒い水にのみこまれた。死者125人、住民の8割が家を失った未曽有の人災は、コミュニティの崩壊をもたらし、生存者たちの心に深いトラウマを残した。アメリカ社会学の権威が、被災者への膨大なインタビューと綿密なフィールドワークで描き出す「集合的トラウマ」の実態。

原書名は『Everything in its Path』で、1976年に出版されている。著者のカイ・T・エリクソンは、2、3年かけて被災者を尋ね、話をきいた。家族や住まいを失い、人間関係もばらばらになった彼らにインタビューできたのは、根気強さはもちろん被災した人々の心を開く、包容力とか優しさがあったからだと思う。カイ・T・エリクソンが、モラトリアムやアイデンティティの問題をはじめて論じたE・H・エリクソン、その息子であることは読んだ後で知った。

被災者たちの労働組合は、ダム崩壊をまねいた炭鉱会社に対して、集団提訴しようと目論んでいた。その会社が法廷資料の作成のため、当時無名に近い著者に、被災者たちの聞き取りを依頼した。その時のインタビューをもとに、カイ・T・エリクソンは、論文ではなくルポルタージュ風に、社会学的知見を盛りこんでこの本をまとめた。面白くないわけがない。

ともかく、この本のコンテンツ、目次をご覧いただきたい。

序章
第1章 1972年2月26日
第2章 アパラチアについての覚書
第3章 山のエートス
第4章 炭鉱施設の到来
第5章 バッファロー・クリーク
第6章 傷あとを探る
第7章 個別的トラウマ:衝撃状態
第8章 集合的トラウマ:つながりを失うということ
終章

以上の目次をみて、どれほどの災害規模なのか想定できるだろうか? バッファロー・クリークという山間の炭鉱町が、大雨によるダム決壊の洪水によって吞み込まれた災厄。住民5000人全員が何らかの被害をうけ、住まいを失った人は4000人、死者は125人である。

自然大災害を多く経験している日本人からすれば、このアメリカの災害は大したものではないと思える。しかし、当事者からすれば、たった数時間で持てるものすべてを失い、目の前に引き千切られた死体が黒い濁流に流されてゆくのを目の当りにした。想像を超えた洪水は、彼らの宗教観からも強く重い、心身に受けたショックは筆舌に尽くしがたいものがあったようだ。

著者のカイ・T・エリクソンは、被害の惨状と被災者の悲痛な声を受け止めるだけでなく、アパラチアのなかの炭鉱町バッファロー・クリークを総合的に探究した。地勢上の、産業構造の、歴史上の位置づけ、成立ち、そこに集う人々の人種や心性、家族関係、コミュニティの性向までも分析した。さらに、風土と環境、遂にはバッファロー・クリークの「ゲニウス・ロキ(地霊)」までにも迫りたかったのではないか・・。

「山のエートス」という章には、石炭や鉄鉱石だけでなく、森林つまり材木等の資源豊かな土地であるのだが、それは当然のごとく人間の営為の結果である。たとえば、ウェストヴァージニア州の山間部にある製材所だけで1850か所もあったほどで、アメリカの人口増と住宅需要増をささえてきたことを教えてくれる。

「アパラチアン」という名称は、アメリカでは「田舎者」という意味らしいのだが、それだけの存在感をアメリカ社会において発揮していた。たんなる「プアホワイト」ではない、気骨と忍耐ある「山の人々」を写し出すかのようだ。バッファロー・クリークの人々は、その象徴としてみることもできる。

バッファロー・クリークの大洪水は、炭鉱から出た土砂や廃棄物を長年放置して、粗末な人造ダムが出来てしまったことに起因する。最初からその危険性が指摘されたにもかかわらず、場当たり的に上へ上へと、歳月をかけて3つもの欠陥ダムをつくってしまった。そして、今からちょうど50年前の1972年2月26日、ハリケーン崩れの集中豪雨によって上流にあるダムが決壊。あっという間にバッファロー・クリークの町をのみ込んでしまった。災害というより人災であった。

 

この本には数多くの人々の、九死に一生を得る経験談、目を覆うばかり家族や友人たちの死、さらに被災後のトラウマ、喪失感が語られる。

「個別的トラウマ」という章では、3.11の東北地方を襲った津波被害の映像が何度もよみがえってきた。「集団的トラウマ」の章では、フクシマ原発で故郷を捨て去るしかなかった人々の、その後の悲惨な暮らしぶりを彷彿とさせた。2世代、3世代で暮らしてきた飯館村や大熊町など帰還困難地区の人々が、今でも家族が引き裂かれ、故郷喪失の苦しさを吐露する姿を思いだした。そうした映画を個人的にも結構見てきたので、バッファロー・クリークの被災者にも同じ感慨をもちながら、本を読んだ。

福島の帰宅困難者がプレハブ簡易住宅をあてがわれたように、バッファロー・クリークの住宅喪失者には、トレーラーハウスがさし向けられた。同じ地区から来た人とはいえ、それまで挨拶もしたことない他人同士が隣り合わせに暮らす。個別的トラウマを癒すのが精いっぱいの彼らは、互いにそうした体験を共有する余裕はなかったし、隣人への関心さえも湧かなくなったといえる。

絆、信頼、家族愛を失うことの不安、畏れ、絶望、慢性的自死、それらがバラバラでも共通的にあらわれる「集団的トラウマ」の怖さがひたひたと押し寄せる。

 

この本の翻訳者は3人いるが、共に30代前半の阪大出身の研究者で、東日本大震災の際に岩手県にボランティアに行った仲間たちだと知った。このことにも興味を惹かれ、「バッファロー・クリーク洪水」の題名の意味と、翻訳されたことの重要性をあらためて感心するに至った。彼らは翻訳するにあたり現地に赴き、関係者に会い、被災され、亡くなられた人々を弔う石碑に祈ったという。

あとがきに、代表として宮前良平がこう記している。

語りを聴くということは、語り得ない空白地帯の存在に気づくということなのかもしれません。そう考えれば、空白の痕跡を誤って消してしまわないように、語り、そして聴くことがこれから必要になるでしょう。

 

現代と思われるバッファロー・クリークがどんなものかネットで探してみたら、深い森と穏やかな川の流れの写真がたくさんあった。アパラチアン・トレイルの一部かもしれないし、家族連れでキャンピングを楽しむ風光明媚な景勝地になっているのだろうか・・。

 

 


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