小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

歳末無題2

2017年12月26日 | 日記

 

先日行った「報道写真展」で忘れていたことがある。絶滅危惧種のトキのつがいの美しい写真があったのだ。あまりにも美しいその瞬間は息をのむほどで、報道写真の枠を超えていたので後回しにしていた。(もう一枚、どこぞか知らん山の紅葉が美しい写真は、いずれ別の機会としたい)


2017年、私にとっても親しい、多くの著名人が亡くなった。「報道写真展」でも逝去された著名人を偲ぶ、遺影の特別コーナーが設けられていた。

▲下段の左3人。左から大岡信、ムッシュかまやつ、鈴木清順。

大岡信、ムッシュかまやつ、鈴木清順の3人が並んでいるのは奇遇としか言いようがない。大岡信は国文学者であったが英語・フランス語が堪能。私が高校生の頃、平凡社の世界名詩集大成のフランス編4で、ブルトン&エリュアールの「処女懐胎」を翻訳していた。私の記念すべきシュールレアリスム初体験。当時は図書館蔵のものを、自分用に持ち歩いていた。

今は古本を購入し、折をみてひも解いたりする。彼の国文学者としての仕事はきわめてオーソドックスで、専門家に畏怖・瞠目される研究業績は少ない。が、コレージュ・ド・フランス(※)で「日本の詩歌」を講義してパリの知識人層に旋風を巻き起こしたり、「折々のうた」のような息の永い歌集編纂というライフワークには敬意を抱く。

ムッシュかまやつは、前に出ることを嫌ったシャイな人だった。ギタリスト、作曲家としても高感度なものがあったが、思想的にも音楽家としてのメッセージ力は殆どなかった。その分、東京人らしいファッション性だけが際立ち、昔は軽んじられていたと思う。だが、彼の人柄、音楽のセンスは素晴らしく、歳が経てから多くの人から親しまれ、リスペクトされていたと思いたい。

私は『ゴロワーズを吸ったことがあるかい?』という曲が大好きで、年に1回のカラオケをするときは、私の十八番になっている。

だいぶ前だが、私の若い時代にのめり込んだ女性ソウルシンガー、金子マリといっしょにやっているのを見つけた。なんと息子のケンケン(ライズ)もいっしょで驚いたが、リードギターに竜之介くんがバンドに入っていたのもビックリ。5,6歳の頃からギタリストの神童ともてはやされていて、子供だけのバンド活動をテレビが演出し、それで有名になった? 幼いながら大人のようなガッツとロック魂を見せつけて、こいつは大物になると思ったのだが・・。今、その片鱗はあるものの、ギターだけで世の中を席巻できるほど甘くはない、と17歳の本人も気づいたようである。

『ゴロワーズを吸ったことがあるかい?』ムッシュwith 金子マリ&ケンケン&竜之介 ⇒ 

//www.youtube.com/watch?v=O_Nndq74LEE

 

3人目の鈴木清順。なんといっても受験生の頃にみた『けんかえれじい』が好きだった。いや、それよりも子供時代のときの、今はもうない浅草の国際劇場で観たSKD。その「夏の踊り」なんてものを、母と叔母たちと一緒にワイワイいって何度も鑑賞したことが思い起こされる。その踊りのショーの合間に、日活映画の新作が一本だけ放映された。(※2)。そのなかで子供でも目に焼きついた、ほとんどのシーンの映画が、二十歳前後に観た鈴木清順だ。文芸坐のオールナイトの清順特集では、かつて幼い頃に見たシーンがまざまざと甦り驚いたことがあった。

大御所になってからの清順には、『ツィゴイネルワイゼン』を除き、残念ながら私がそれほど関心をひく映画はない。いや、見ていないので分からない。

最後に、辺境で花を生けるアーティストが極寒の地で松の木を生けていて、衝撃的な美しさだったので載せる。

 

(※)コレージュ・ド・フランス: フランスでもっとも権威があるとされるパリ大学の講義。最近、岩波で文庫化された。最初のとりあげた歌人が詩人にして政治家である菅原道真。この人選が大岡の非凡なところで、ギリシャを起原とする西欧文化の知識人としては、道真の詩魂はホメロスに匹敵する衝撃をあたえたと思われる。

一般にも開放され、ブローデル、ヴァレリー、フーコーなどその道の大家による講義は、国内のみならず世界から注目される。

(※2)数寄屋橋の日劇の「踊り祭り」では、合間にはもちろんのこと東宝映画だ。森繁の社長シリーズ、駅前旅館シリーズは定番であったが、やはり植木等は「神」であり、佐藤允、夏木陽介らの若手俳優らに子供心にもときめいたものである。『独立愚連隊』はその頂点。監督は言わずもがな、である。


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