小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

スピンを付けてくれ

2016年07月16日 | うんちく・小ネタ

 

本の上部に糊付けされた布製の紐を「スピン」というのだが、本読みにとって欠くことのできないアイテム。使い勝手がよく、栞(しおり)のように紛失の心配がない。ひと昔なら単行本には必ず付いていたし、新書や文庫本にもあった(出版社は少なかったが)。

それが今はめっきり少なくなった。新書では絶滅し、文庫本は新潮社とウェッジ文庫だけになった。単行本にしてもちょっと値が張る上製本にはあるが、出版社によってはスピンは付いていない。

今はなんといっても栞が主流。栞も悪くないが、挿んだままではその箇所が読めない。文庫本なら約7~10行ほどが栞に遮られ読めなくなる。当然、栞は別のペイジに挿むなり、手元の何処かに置いておく。ずぼらで怠惰な私は、栞をなくすことも多く、その都度あたふたする。なんとかならないかと、ブックカバーに手製の皮ひもをつけ、スピンの代用とした。新書版を5,6冊分、文庫本を10冊分ほど作って、それなりに気に入っている。

ブックカバーを使わない場合もある。サイズの大きい本、分厚い大部のものなどにブックカバーは不向きだし使いにくい。大判専用のものを作ろうかと思ったが、そこまで凝り性にはなれない。これらの本を読む時はどうしても栞に頼るしかないのだが、先の理由により失くしたり、挿んだままだと読めない。

で、考案したのが挿(はさ)んだまま読める「透明なしおり」だ。土台、栞は出版社の意向でどうでもいい啓蒙的文言とか、見たくもない広告などが印刷されている。こういうのをいまどきの「ウザったい」というのか・・。手づくりの我が「透明なしおり」は、今のところ問題なく使っていて、索引・(注)の頁に挟んでいると重宝する。

▲アクリルの薄い板を切って栞にした。1穴のパンチでくり抜き、紐で結んだ。発展の余地はまだある。

▲全部で5,6枚作った。分厚い本の場合、本文・索引それぞれに色別に使い分けができて便利である。このデンマークのハード・ミステリーに嵌っている。

 一貫してスピンを付けてくれる新潮文庫。ほんとに凄いし、有難い。一流の出版社であるが、それ以上の高評価はこういう所を疎かにしないところ。読者の気持ちを大切にしていることだ。スピンを付けることは、部数にもよるのだろうが、5~10円ほどコスト高になると、どこかに書いてあった。文庫の価格設定も良心的で頑張っている新潮社さん。これからも、スピンを維持してほしい。応援します。

 

さて、「スピン」という語源、由来はあるのか。ふつうの英和辞書にないし、国語辞典にもなかった。ネットにはやはりありました。

ある方の調べでは、「spine」(スパイン)だろうと。英和辞書を繙くと、「本の背」の意味があるという。語源は、ラテン語の「spina」(背骨の意)。

栞は英語では「bookmark」であるが、18世紀から第1次世界大戦ぐらいまで背表紙に紐を糊付けする「リボン」が流行した。その時期、日本から西洋へ製本技術を学びに行った人が、背表紙についているその紐を、背表紙の「spine」(スパイン)と誤聞したか、単なる混同の間違いであろうかどうか・・。(カナダでは「リボン」と言い、「スピン」そのものは健在だとか・・)

もう一つ、有力な説がある。「spin」という英語の動詞には「繊維を紡いで糸にする、蜘蛛が糸を吐いて巣をつくる、蚕が糸を吐いて繭をつくる」というニュアンスの意味があるらしい。英語だと限定すれば、「繊維を紡いだ糸」という意味になり、いわゆる業界内の符牒のようにリボンではなく「スピン」と呼んだ可能性もなくはない。しかし、実際の英語圏ではかつて「ribbon」(リボン)や「tassel」(飾りの房)が使われ、いきなり動詞の「spin」を名詞的に使うのは無理があるとのこと。つまり、落ち着きどころは和製英語、と断定していいかもしれない。

いずれにしても、スピンを背表紙に付けるのは、製本時に何らかの作業工程が加わるわけで、合理化、省コストを考慮すれば、消失は避けられない運命にあるのか。

決してそんなことがあってはならない。こんな便利な本読みのためのアイテムを絶滅させてはならない。

(スピンが2本もある本が家にあったはずだが・・思いだせない、捜さねばならん)

 最後に、スピンの保守・継続を断固ここに宣言する。

 

 ▲ブックカバーに付けた自作のスピン。プチ自慢になるのかなあ。

 


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