小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

スウェーデンにみる、失敗を認める文化

2020年08月10日 | エッセイ・コラム

ヨーロッパでは、新型コロナウィルスの猛威はイタリアからスペインへ、そして各国へと瞬く間にひろがった。そのとき、スウェーデン一国だけが、「集団免疫」を目標として独自の戦略モデルを採択した、と伝えられた。国際メディアは驚きをもって報道したが、それは無謀な試みだと批判する声も多かったと記憶している。
イギリスも当初、同じく集団免疫作戦をとったが、数日を経て変更し、他国と同様のロックダウン戦略に変更した。時機を失したか、英国首相は自ら感染したし、国内は感染爆発で多数の死者がでた。100万人あたりの死者数では、現在のところ欧州一の悲惨な結果をみたといえるだろう。

スウェーデンはどうだったか。国際ニュースを普段よく見る方ならば、結果はご存じだろうと思う。結論を先にいえば、集団免疫の獲得には失敗した。多大なる犠牲をともなった、というのが世界の共通認識だったと思われる(少なくとも、この日本では)。

例えば、『USAトゥデイ』(7月21日)の記事にはこうあった。「スウェーデンのCOVID-19へのアプローチは、死と悲しみと苦しみをもたらした」、「集団免疫までの犠牲が高すぎる。感染病で何をしてはいけないかの手本を、世界に示しただけだ」とあり、スウェーデンを他山の石とみるような解説を載せていた。(最後に紹介するYouTubeには、日本の時事通信社の記事がでてくるので、ご参考まで)

今のところ、スウェーデンにおける新型コロナの死者数は5000人を超え、人口100万人当たりの死者数では522人という数。ちなみに、英国の685人よりは少ないが、米国の487人よりも多い。日本は現在8人、お隣り韓国は6人である。人口が膨大な中国は?(8月8日現在:データ提供、下図参照)

▲(8月8日現在:データ提供)札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 このグラフにはスウェーデンの記録はなし

スウェーデンにおける集団免疫の獲得は、失敗に帰したと断定していいのだろうか。戦略設計の立役者および感染対策を主導したのは、疫学者アンデシュ・テグネル博士という人物。スウェーデン本国ではとても信頼され、カリスマ的な人気さえもあるという。

5000人以上の犠牲者が出たことで、テグネル博士の責任の取り方も半端ないものがあるだろうな、と他人事ながら気をもんだことがある。なぜなら、こんな社会実験的なことは、まず日本ではやらない。国家の命運を左右する重大な決断。それを遂行する権限と与えられる名誉。しかしながら、結果が意に反して裏目に出た場合を考えたら、失敗した場合のリスクは途方もなく大きい。さらに、最悪の結果を想定した場合、その重圧は、日本人の想像の域を軽くこえるだろう。

こういう人物に、実は、小生、羨望の念を抱く。意気地なしだから、猶更そう思う。国難を乗り切る「所業」に誰が手をつけるか。裏付けられた知識と確信があっても、おいそれと決断できない。明治の偉人たちは、若くして平気で挑戦していたなあ、と余計なことを思う。

そんな感慨を抱きつつも、その後、ヨーロッパでは感染爆発は下火になってきた。ロックダウンは功を奏したというべきか。イタリアとスペインでは、感染爆発の第1波が収束に向かうなか、スウェーデンのそれも穏やかなものになった。誰かを糾弾するような話もなく、政府を追及するデモがあったとも聞いていない。

ところで、小生の生活は、自粛中に大きく変わったことをブログに書いてきた。まだあまり触れてはいないのだが、ユーチューバーの投稿動画をよく見るようになった。世界のコロナ禍の事情がどんなものか知りたい。それがそもそものきっかけだったが、どうせなら英語の勉強にもなるということで、国際カップル(メインは、男性・日本人、女性・外国人)の動画をよく観るようになった。要するに面白く、はまったのだ(世界の言語がグーグル翻訳できることも弾みをつけた。詳しくは、別の機会に書く)。

で、YouTubeを観る時間がふえていったのだが・・。そんななかで、スウェーデンに嫁いだ日本人女性がアップする動画を偶然に観た。例の「集団免疫獲得のこと」について語られてい、現地のほんとうのコロナ事情、集団免疫の実際のところを知ることができたのである。

彼女たちの話によれば、テグネル氏はいまだにリスペクトされていて、集団免疫の獲得そのものは、国をあげての目標ではなかった、という意外な話に・・。日本の報道が、表面的なことだけを伝えていたのは、たいへん残念だったという内容だった。テグネル氏の考えをふくめて、新型コロナの感染拡大が迫るなかで、当初の目標があったとすれば、筆者が勝手に要約すれば、以下のようになる。

〇感染拡大の速さを抑える。感染者が急に増えないことを重視。
〇感染が拡大する前に、早く医療体制を整えることに傾注する。
〇コロナ禍は長期化するから、持続可能な体制づくりをはかる。
〇経済、人々の生活を守るために強力なロックダウンはさける。

明らかなのは、コロナ禍というものがかなり長期にわたって、社会や人々にダメージを与える災厄だと見なしている点だ。そして優先すべきは、1,2年先を見通した体制をつくっていくべきだということだ。死に至る未知の病に対して、決してうろたえることなく場当たり的な対策をとらないことを優先したことだろうか・・。。

最後に、彼女らがだした結論は、失敗を認める文化、失敗を認めた人を追い詰めない文化があること難しいことを避けるのでなく、前向きにチャレンジしたことを認める文化がある、ということだ。

彼女らのYouTubeを観た後で、多少合点のいかないところがあったので、スウェーデンのコロナ禍の事情、背景を調べてみた(※)(もちろん、恐縮だがネットからだけ)。

いろいろあったのだが、スウェーデン人の死生観に関して分かる、こんな関連記事に刮目した。

{それでもまだ“医療崩壊”のニュースは聞かれない。だが死者の半数以上は介護施設入居の高齢者とのことで、「高齢者は集中治療室に入れてもらえない」との批判も出ている。しかし、現地在住経験の長かった日本人に聞くと、同国には「年寄りは先に死ぬもの」と割り切って考える人が多く、高齢者にも惜しみなく延命治療を施す日本の感覚は通じない…}

{死者の九割は七十歳以上。八十歳以上は3・5%のみ。医療崩壊を防ぎたい政府は「高齢患者をむやみに病院に連れて行かない」とのガイドラインを現場に通達していたのだ。これには、「命の選別」だと非難の声が上がった}

ここには「死と生」の哲学が貫かている。深沢七郎の『楢山節考』の世界にも通ずるものがある。現在の日本では、人が生きる上での尊厳に重きがおかれる。ホスピスの医療現場はよく知らないが、最期までより良く生きることに基準があり、看護する立場からすれば「良い看とり」ができることを目標にしているようだ。フランスのユマニテというものもあった。

これらの事柄について考えると、本来の目的からそれてしまう。BS放送で世界の医療現場では医療チームの献身的な治療・看護をみるにつけ、心から感謝したいし、ただただ頭の下がる思いがしてしまう。

さて、話がだいぶそれてしまった。当の疫学者アンデシュ・テグネル氏は、地元ラジオに「私たちの方針に改善すべき点があったのは明らかだ」と認めたといわれる。それは特に、高齢者施設において死亡者が多く、このことは反省すべき点があったとした(これは、アメリカを除いて世界共通だが)。

確かに、この弁では反省はしているが、失敗とは明言していない。日本人女性たちによれば、氏は豊かな人間性と市民感覚をもち、いつも自然体で事態に取り組んでいた。何よりも非凡で、休むことなく努力する姿に多くの人が共感している。現在にいたっても、テグネル氏の支持者は多く、彼をリスペクトするあまり、氏の顔をタトゥーにするファンもいた。

スウェーデン人の、この「失敗を認める文化」、あるいは「失敗したことを追い詰めない文化」は、この日本でも大いに参考になると思われる。特に教育面では、著しい効果があるのではないか。

日本では他人のミスに寛容ではない? 要職にある人間には特に厳しく批判し、本人が失敗を認めたならば、即、謝罪を迫る。特に、メディアの方たちの筆致は、何らかの咎があった人には容赦がない。相手のプライベート保護はなんのその、追及の手を緩めない。社会の正義を振りかざし、相手をとことん追い詰め、反省の弁を引き出させる。そんな気構えがあったならば、まず取材の発端から全力を傾注していただきたい。

前回に書いた記事「メディアの訊く力を問う」の繰り返しになる。綿密な準備、丁寧な取材、多角的な検証、フィードバックと確認、追加取材、これぐらいの仕事は最低でもやっていただかないと、メディア人の高報酬は是認されるものではない。と考える余は、なぜか悲しい気分につつまれている。

何故か・・。先日の大阪知事の、うがい薬云々の勇み足会見。あれを失敗とするなら、まあ認めてもよかろうぐらいの案件だったのか。厳しい目で、このブログで取り上げることはなかったのか・・。

いや、あれは知事の失敗ではなくて、会見における取材者側のスタンスを俎上にあげたのだった。お後がよろしいようで・・・。

(コロナ#2)「集団免疫獲得」実はウソ?!コロナでカリスマ化したあの人とは?【スウェーデンのコロナ対策まとめ第2弾】

スウェーデンはもとより、庭にソファーベンチを置くのが普通らしい。北欧の家具は、材・造りの質が高いから戸外でも最高。

(※)スウェーデンの医師・科学者ら25人が連名で、「スウェーデンは集団免疫に期待したが、効果はなかった。私たちのマネをしてはなりません」という意見を米紙に提出したこともあった。専門家のなかには、テグネル氏に同調しなかった人もいただろう。だが、批判はしても、告発するまでには至らないのだろう。拙速に他人の失敗を責める、そんなエートス(習慣文化)は、スウェーデンにはないはずだから。


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