小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

深センの思い出 1

2005年01月21日 | エッセイ・コラム

近所に「深セン」という中華料理店がある。ヨン様に似ていなくもない青年が店主で、その母親とアルバイトのタイ人の女性が働いている。中華料理といっても基本的には5種類の「あんかけチャーハン」しか出さない変な店である。とはいえ、流行っている。素材の使い方がうまいし、味付けもくどくなくてしっかりしている。付いてくるスープはエスニック風で、毎日なんらかの趣向を凝らしている。デザートにプリンが付くが東南アジアのフルーツなどを使った手作りだ。客層に女性が多いのもうなづける。
人気があるのはそれだけではない。店主の母親が話好きで、年齢の割には愛嬌がある。客への心づかいもきめ細かい。そんな気さくな人柄に触れたくてファンになった人も多いのではないか。
2年ほど前にこの店がオープンした時に、店の名前の「深セン」につられて店に入ったのが縁ともいえる。私のPCでは深センという文字は変換されないが、香港に隣接する中国側の都市の名前である。
中国をビンボー旅行するには、香港から深センに入るのは一つの定番ルートであった。
 十二、三年前もの古い話で恐縮だが、雲南省に行くために、私もそのルートを選択することにした。まず香港の街を堪能したかったからである。ビザの発給も日本でするより簡単だったこともある。現地の旅行代理店に行ったときに、中国に留学しているS君という青年と知り合いになった。4万円ほど中国通貨と両替しようとしたら、「そんな大金を現金で所持した狙われますよ」と忠告してくれたのである。月収が1万円だったら中国では富裕層とされる時代であった。
「向こうは物価が安いから1万円もあれば10日間は大名旅行できます」とS君はいう。彼は気分転換に香港に来ていた。
中国の貧乏かつ息詰まる共産主義の生活から一時避難したかったらしい。でも、彼はバックパッカーでは有名なチョンチンマンションに宿をとっていた。それもDブロックだ。インド人、イスラム圏の人々だけが利用するエリアだ。
話を端折るが私とS君は一緒に広州まで一緒に行くことになった。おまけにパキスタン人のJ君も同行することになった。日本で働いたこともあるとかで片言の日本語も話す。まあ意気投合した感じである。失業中である身にもかかわらず、深センという街を見てみたいというのだ。それぐらいの金は持っているらしい。3人の珍道中の始まりである。
 思いがけなく長くなってしまった。後で続きを書くことにしよっと。

追記:「深圳」さんは、2017年11月をもって15年間の営業に終止符を打った。その間、激辛の麻婆豆腐で注目を浴び、テレビ取材がよく入った。が、その頃からわたし自身はほとんど行かなくなった。さしたる理由はないが、敷居が高くなった。詳細はわからないが、品川にて新規開店するそうである。(2018、1月記)


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