小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

「市民と武装」を読む

2005年01月19日 | 本と雑誌

  アメリカがなぜ銃社会なのか、小熊英二の「市民と武装」を読んですっきりした。
イギリスとの独立戦争のとき、アメリカは戦争の素人ともいえる市民で構成される民兵が、戦争のあらゆるノウハウを熟知した傭兵(給料が支払われる)のイギリス軍と戦った。結果はご存知の通り。その要因は、素人ならではの破天荒な戦術をアメリカ軍が駆使したからだ。それは先住民との戦いから培われた手段を選ばないものだった。だまし討ち、非戦闘員(女・子供)の殺害、焦土作戦・・。さらに規律のないちゃらんぽらんな戦闘隊列も功を奏した。当時、ヨーロッパでは、戦争は国際間の紛争を解決するための合理的手段の一つとして考えられおり、その戦争を担うのは傭兵とされていた。(市民が武装するのはフランス革命以降である)。傭兵は諸外国出身で流れ者ともいえたが、彼ら流儀のルールや秩序があり、自らの生存を考えて戦争を遂行した。戦場では敵味方の内密の談合・交渉により、戦争の早期解決もあったのである。
  アメリカ軍の出方はそうしたイギリス軍の傭兵の価値観を木っ端微塵に打ち砕くものであり、ここに新しい戦争の形態を歴史的に創出したと言えなくもない。
 アメリカの独立はこうして達成され、市民の武装権が憲法で保障されたのである。

 しかし、その市民が民兵であるのか、一般市民にまで拡大解釈されるのか、現代にいたっても争点になっている。また、その条文成立時においては黒人・先住民が市民に含まれていないことも、その争点を複雑なものとしている。
 いずれにしても無法者、不審者の侵害から、市民自ら銃を使用して排除あるいは殺害するという伝統が今日まで継承されたのである。

 私がアメリカ旅行に行き道に迷い、ある家を尋ね、玄関先で「フリーズ」を「プリーズ」と勘違いし、中に入ろうとしたら突然射殺される。悪いのは私であり、打ったほうは無罪である。裁判ではそうなるが両方とも「不幸」である。
 「市民と武装」は小熊英二がまだ30そこそこで書いた論文を復刻したものだそうだが、豊富な内外の資料の読み込み、その論理的科学的分析の精緻さは驚くばかりだ。いま遅ればせながら「民主と愛国」を読んでいる途中だが、その手腕はここでも圧倒的に発揮されている。2年前の出版当時、それまでの数多の「敗戦後論」が色あせてしまったのも、むべなるかなである。


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