小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

ロハスの欺瞞

2006年06月09日 | 国際・政治

 

ロハスとはLOHAS(Lifestyle of Health & Sustainability)で、「健康で持続可能なライフスタイル」をいうらしい。  
6月9日の内田樹のブログで「与ひょうのロハス」と題して、このアメリカ産のロハスが現代の資本主義の文明が招いた自然破壊をくい止める一つの技術(アート)であるが、もはやその成果は望むべくものはないと言っている。私も同感である。  
端的な部分を引用すると、「・・自然破壊した分を商品のコストから控除して国際競争力を確保してきたんだから・・。『夕鶴』の織物の国際競争力が強かったのは「つるの生命の減耗」というコストを「与ひょう」がゼロ査定していたからである。アメリカがしてきたことは「与ひょう」のそれと同じである」ということになる。

私がロハスをさらに強く欺瞞だと思うのは、こういう小手先のイデオロギーを再生産し続ける、アメリカ知識人或いは官僚の精神的思想背景である。
アメリカ人が現在も冒している最大の過誤は、過去における多くの原住民虐殺の隠蔽である。
いや、その歴史なら、アメリカ人の誰もが知っていると反論するだろうが、それは単なる「情報処理」にしか過ぎない。
なぜなら、現在のインディアンというシンボルは、スポーツ・映画などの大衆娯楽、或いは絵画、工芸品、音楽などの文化芸術、また、居留地における見世物的囲い込み文化人類学政策などによって、多くのアメリカ人に親しまれようになっている。
それは「隠蔽」を隠蔽する高度な政治化であり、「虐殺」という凄惨なイメージを喚起させない政治的な配慮である。これらの高度に隠蔽されたソフトイメージの際限のない侵食によって、全世界的に私たちは「インディアンの今」を見せられる。  
もはや「過去の真実」に目を向けようとするものは少ないし、その一端を知っても現在のインディアン政策のバイアスによって、なんとなく看過されてしまうのだ。

残念ながら今回の内田樹もそうだ。

北米大陸はご存じのとおり「新世界」である。
近世に至るまで、あの宏大な土地にほとんど人間がいなかった。
だからヨーロッパ人はアメリカを見てびっくりした。
手つかずの自然というものを15世紀のヨーロッパ人は見たことがなかったからだ

ここには豊穣なリソースという「自然」しか内田は見ていない。
街場のアメリカ論でもそうだったが、かれの射程は18世紀の「フレンチ・インディアン戦争」ぐらいまでで、15世紀には北米にはほとんど人が暮らしていなかったことになっているらしい。

メイフラワー号に乗ってほうほうの体で上陸した人々は、原住民・インディアンたちに食料を分け与えられ、さらに今後そこで生活するための様々なモノと情報の提供を受けたという。たまたま上陸したところにそれだけの原住民がいたということは、もっと豊かな土地にどれだけの人数の人々が暮らしていたか想像できるというものである。
もっといえば中米である。メキシコ・グアテマラなど大陸はもとより、ジャマイカやキューバなど西インド諸島にも我々の祖と同じくするモンゴロイド系の原住民がたくさん暮らしていた。15世紀、キリスト教と文明の名のもとにスペイン人が大量殺戮したことは忘れてはならない。原住民は狩猟的武器で抵抗したが、一人殺しただけで、100人が殺されるという報復をキリスト教の名のもとに受けた。
なんか私の文章はルサンチマンに帯びたものになってきた。
岩波文庫の「インディアスの破壊についての簡潔な報告」(ラス・カサス著)を読めば、ヨーロッパ人の想像を超えた虐殺ぶりがわかるはずである。

話が飛んだ。
いずれにしても大量消費社会が生んだアメリカの亀裂は、ロハスによって修復はできまい。
だが、このロハス、見かけがスタイリッシュなだけに、日本人が簡単に飛びつく気配がある。
いやな世の中だ。ニヒリズムだけには陥らないように自戒して今日は打ち止め。


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