小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

独り善がりと云われて

2016年07月03日 | 日記

 

 

北海道に住む方の、たぶん大学の先生と思われる(三上勝生と本名を公開)のブログ「記憶の彼方へ」は、わたしの「お気に入り」の一つ。メッセージはなく、写真だけをほぼ毎日更新なさっていて、そのクオリティは乱れたことがない。花などの植物、身近なもの、そして風景。いずれも玄人跣(はだし)で、構図といい、対象の切り取り方といい、私にとって参考にすべき秀逸な写真ばかりだ。タイトルが「廃庭」、「空き地」、「公園」などと素っ気ないところが潔い。植物の写真には、必ず正確な名称を付けている。非凡であり、植物に造詣のある方である。

さて、このブログを知って5,6年ぐらいだが、ブログのスタイルは基本的に変わりなく、その持続力に敬服せざるを得ない。今回のブログはちょっとした変化球を投げられた感じだ。それは「手段と目的」というタイトルのもと、写真だけでなく、詩のようなフレーズの文章が添えられていた。白熱電球のスタンドと皿の絶妙な構図の写真で、窓辺の向こうのぼやけた風景に味わいがある。いつもの自然・風景とは違う作風で、硬質感のあるモノを撮った写真。それでもやはり、「記憶の彼方へ」の断片を想い起させるイメージと、不思議でしっとりした感覚に溢れる。今回は写真だけでなく、詩のようなフレーズの文章が添えられていて珍しく、また日常の会話のようでプライバシーを覗くような気にさせる。その一部分を引用させていただく。

それがあなたの悪いところ、独り善がりなところ。
でもさあ、説明しなきゃ分かんない人には説明したって伝わらない気がするんだ。
ほら、それが独り善がりなのよ。
そうかなあ。
そうよ。

たぶん身内の方、奥様からの素朴な質問だろうか、揶揄ではないのだが「ブログなんかなんで続けているの?」と、ブログを書くこと、続けることの目的を問われていることから始まっている。あたかも存在理由を問われるような本質的な「問い」である。即座に、また明快に答えられるものでもない。私にも身に覚えがある身内からの疑問であり、「独り善がり」とは実に痛いところを突かれたもので、これには正直参る。

男と女の脳の構造的な違い、部位の発達の微妙な差異などは脳科学として随分解明されているらしい。独り善がり、つまり独善的にものごとを考え、事をすすめるのは、どうやら男の専売特許ではないだろうか。

何かのためとか、意味のある何かしら役にたつこと。現実主義者の女性ならば、そんな価値あるモノや大切なことにしか目を向けないのが世の習い。男は情けないかな、誰も見ていなくても、誰から褒められなくとも、何の目的、理由がない、そう馬鹿馬鹿しいことでもコツコツと続けることが楽しいのだ。

わたしのブログも独善的なもの以外の何ものでもない。「しょうがないんじゃ!」と、方言で叫ぶようなキャラクターを持っていれば、誰かに読んでもらえるかもしれないのだが・・。こればかりは如何ともしがたい。

最後に、三上さんの「手段と目的」という記事に、はじめてコメントを書き送ったことを記す。身につまされ、得心することが多分にあったから書いた。今日、三上さんのブログをみたら、コメントは拒否されずに載っていた。(読みたいという奇特な方がいれば、左のブックマークを辿っていただきたい)

 

最近咲いたサボテンの花の写真を載せてみよう。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。