小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

寛斎さんを偲び、おもうこと

2020年07月29日 | 日記

日にちをおいて書く。山本寛斎氏が亡くなられた。同日だったか、歌手弘田三枝子さんも天に召された。
6歳上、2歳上で、小生より年上ではあるが同時代に生きる先輩・・。憧れ、畏敬、思慕・・複雑な感情が絡む。
ただし、寛斎の服は着たこともないし、着ようと思ったことはない。派手な色づかい、斬新なフォルムは、まずふつうの日本人には着こなせない。

デイヴィッド・ボウイが寛斎を抜擢し、ステージ衣装を任せたのは知っていた。そんな間柄だろうか、ボウイの日本名を寛斎が名付けたらしい。
新聞のコラム欄に「出火吐暴威」と記されていて、これは知らなかった。山本寛斎らしいテイストが感じられる漢字の選択だ。
残念ながらボウイのステージは生で見たことはない。映像で見るかぎりは斬新かつ華麗。時代の先を駆け、人々の想像を超えるイメージが強い。
要するにカッコいいのだが、デビュー当時をのぞいて「暴威」の漢字を使うイメージは、小生にはない。
デイヴィッド・ボウイは若い頃、日本文化に傾倒していたし、歌舞伎の隈取りをモチーフにしたメイクアップも有名だった。
京都に別邸をもっていたころには、門には「坊居」という木の表札がさりげなく掲げられていた。
そんなことから、ちょっと違和感のある「出火吐暴威」の使われ方を調べてみた。

▲ロンドンのビクトリア・アンド・アルバート博物館での回顧展「David Bowie is」より。2013年3月30日撮影

山本寛斎の命名にまちがいなかった。ステージ衣装に名前を書き入れたものだが、うーむ、外国人にはインパクトをあたえるのか。
漢字のカリグラフィーは外国人には神秘的で、奥深さとカッコ良さが同居しているのであろう。
新聞によれば山本寛斎の事務所は三軒茶屋の駅ビルにあって、界隈の住民たちと濃密な交流があり、多くの人が彼の死を悼んだと書いてあった。

実は、かなり昔になるが、小生とはご近所つきあいとしての交流があったのだ。いや、交流とは呼べないか、挨拶をかわす程度であるが・・。
30年以上前だが、青山のデザイン事務所に1,2年ほどいたとき、そのビルには大手のモデル事務所と山本寛斎の事務所があった。
10時が出社時間で、そのころ「寛斎さん」とよく会った。必ず彼の方から明瞭な声で朝の挨拶をしてくれた。そして、長身でスタイルのよい彼が、きちっと腰を曲げてお辞儀をしてくれた。恐縮して、反射的に、こちらもお辞儀する。
小生だけにではなく、会う人誰にでも礼儀正しい挨拶をしていたと思う。はたから見ても気持ちが良いものだし、まさに「絵」になるシチュエーションだ。

名実ともにファッション界の一翼をになう人物が、かくも腰の低い挨拶をするのかと、周りの人々は驚いたとおもう。
だから生前最後の事務所があった三軒茶屋の、寛斎さんを知る人ならば、その礼儀正しさや気さくな人柄を偲び、心から冥福を祈ったことに違いない。

弘田三枝子さんについても若干知るところがあり、この場であるがご冥福をいのりたい。

同時代に生きた人々が亡くなっていく。次から次へとは書き過ぎだが、そんな感慨をいだくほど訃報を目にしてしまう。
歳のせいもあるし、しょうがないことは分かっている。このブログにも追悼の記事を書くことが多い、最近は・・。やはり「死」への構えというか、心の準備をしているんだろうと省察してしまう。

 

ローマ皇帝だったマルクス・アウレリウスが書き残している。

遠からず君は何者でもなくなり、いずこにもいなくなることを考えよ。また、君の現在見る人びとも、現在生きている人びとも同様である。すべては生来変化し、変形し、消滅すべくできている。それは他のものがつぎつぎに生まれ来るためである。(12巻-21)

 

▲了院寺の鉢植えの蓮。白蓮がいつの間にか散った。かわりに赤い蓮の花の、なんと蕾のボリューミー。

▲連日の雨模様に疲れたのか、近づいても微動だにしない。生の流転、その最終章を迎えているか・・。


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