小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

新たな階梯を生きる、ことにする

2022年10月27日 | 日記

昨日、最初の総合的な診断を聞いた。肺がんの種類にはいろいろあるが、小生のそれは腺がん、小細胞がん、大細胞がんではなく、「扁平上皮がん」という診察結果であった。いろいろ受けた検査の中で、もっともしんどかった気管支内視鏡の検査によって、小生のがんは特定された。

それゆえに、手術や放射線治療はリスク大であり、抗がん剤投与の治療に決定したのである。肺という臓器の性質を考慮すれば、もっとも最適な治療であるという説明は、きわめて合理的であり、素人にも納得のゆくものだった。

担当の○△医師から質問はありますかと聞かれ、「抗がん剤という名前のとおり、癌に対しての抵抗である。つまり、癌そのものを死滅する、根絶させる治療ではありませんよね。癌という死に至る病を完治できない、大きく言えば延命治療ですね」と、個人的な拙い見解を述べてみた。そう思うのも当然です、という感じに頷いてくれたので、小生の○△医師への信頼感はより深まった。

もちろん、抗がん剤の効き方は個人差があるので、はっきりしたことは申し上げられませんが、がんを縮減する効果が見込まれます。それによって、寿命2年が5年に延びるケースがあります」。○△医師のことばは、断言するような力強いものではない。しかし、それが却って、小生の気弱なこころを少しではあるが励ましてくれたのだ。

なにかを信仰するというような、敬虔な精神が小生には欠如している。であるが、よりよく生きようという気持ちは持っていると思う。これまでの来し方を考えてみると、いろいろな局面があり、それぞれの段階で人並みに持てる力を尽したきた、そう思いたい。

「階梯」という言葉は、宗教的な進歩過程である意味があったかな? そんな大仰なニュアンスではなく、自分にとっての新たな生の段階を歩む、そんな軽い気持ちであり、ここに言表することで確かなものにしたいのだ。

来週から、2週間の入院で抗がん剤治療をうける。副作用はじめ抗がん剤のリスクをヘッジするための入院であるが、とりあえず諦めない生き方(治療)を選択した。こういう書き方は、第三者からみれば無知かつ無恥、不遜だと思われるかもしれない。そう思われても、文章を綴ることは、自己の存立を確認する大事な作業だ。

入院生活は、PCのネット環境はなく、スマホによるアクセスだけとなる。記事を書くにしても、短文の投稿のような呟きとなるだろう。まあ、2週間の休息とみなしてもいいか・・。

先日の日曜日、小石川植物園に行き、リニューアルした温室を初めて訪れた。亜熱帯の珍しい植物の花々が印象的であったので、それをブログに載せてみたい興趣が湧いている。

レジリエンスとは言えないが、新たな生への回帰に向かう今日この頃である。

▲たぶんツマグロヒョウモン。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。