小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

JR事故を、ドラッカー流に考えた

2015年04月14日 | 日記

 

先日12日の日曜日、JR山手線で架線支柱が倒れる事故がおきた。
今朝14日(火)の新聞によると、「事故の前日および二日前に、JR東日本の工事担当者や運転手が支柱の傾きを察知しながらも、設備の保守部門には事故の四時間前まで情報伝達がなかった」ことが判明。
さらに、「事故直前の始発電車に同乗した保守担当者は、その支柱を目視したが安全と判断し、報告していた」と記事にあった。12日の会見では「すぐに大きな事象にならず、すぐに対策をとれば大丈夫だろうと判断した」と、原発事故のときの会見でも使った単なる出来事を意味する「事象」という表現で説明したという。
13日の夕刊では、国土交通省鉄道局は「すぐに電車の運行を止めている。輸送障害は起きたが、運輸安全委員会へ通報する事故やインシデントには該当しない」とあり、「原因や再発防止対策については社内で調査し、結果公表についてはまだ決まっていない」とのこと。

認知と判断のズレというか、失敗の本質をとり繕う大企業の病はいまだに続いているようだ。(14日、運輸安全委員会は一転して、重大インシデントとして調査を決定した)

これら一連のJR東日本の対応をみて、組織のガバナンスとしての基本である「自由と責任」の原則がほとんど生かされていないという印象をもった。
二日前と前日に架線の支柱になにか違和感があったのなら、なぜ、それを表出させる問題意識や情報の共有化がないのだろう。
仕事上で気になったことを同僚と話したり、あるいは気軽に報告するような社内風土は欠落しているのか・・。
仕事に直接関わることのない領域においてでも、顧客への安全対策を失することや、社の命運を憂慮する「事象」などについて、社員ならば敏感に対応してほしい、と経営者は願うのではないだろうか。
事故当日の一番列車に乗り込んだ保守担当者は、問題の架線支柱を目視し、安全だと判断したそうである。その支柱を直接確認しなかったことは、単なる慢心や怠慢ではなく、むしろ人材傭員の不適正、点検・管理システムの不完全があるからではないか。

こういった兆候は、組織そのものの陳腐化・形骸化だろう。そして、マネジメント統制が「命令と服従」的な上から下への、単線的なベクトルしか働いていなかったからではないか。
かつて経営の神様ドラッカーが提唱したような、組織運営の基本に立ち戻るべきなのだ。今日の経営はあまりにも効率最適化と人員及びコスト削減に偏っているとおもう。

いま、本家アメリカでは、経営にたずさわる人でもドラッカーを読む人はほとんどいないし、計量経済学に基づく統計的手法などのマネジメント分析が主流だという。
また、経済合理性や株主価値最大化を優先する仮説をたてたシミュレーション、そのデータ解析だけが偏重されている。私からすれば、それは悪しき科学的実証主義であり、経営本質論の逸脱でもある。

安富歩によれば、ドラッカーのマネジメントの要諦は以下の3点だ。
①自分の行為のすべてを注意深く観察せよ
②人の伝えようとすることを聞け
③自分のあり方を改めよ
(安富歩「ドラッカーと論語」東洋経済新報社より)
この3点だけを徹底するだけでも、今回のJR事故は避けられたであろう。

しかしドラッカーはいま、データも数理モデルも使わない古いタイプの経営学者だとしてアメリカのビジネス界では無視されている。
ドラッカーを有難がるのはもはや古いタイプの日本人だけ。大企業、外資系コンサルティングのエリートたちは鼻にもかけないというが、ほんとうだろうか。
ドラッカーを一顧だにしない風潮は、「自由と責任」のあり方や「イノベーションと倫理」の本質に根ざした経営哲学は不用ということだ。ドラッカーのいうことは非科学的で単なる主観的な言説にすぎないのか。
データを用いず科学的実証もできない私のような人間は、社会の片隅にどんどん追いやられるに違いない。いじけているのではない、真正なる事実である。
かといって老人の趣味的生活、花鳥風月に耽溺するつもりはない。役に立たない案山子にもみえようが、言いたいことはいう。

 

さて、事故のあった日。講談社の美術館にいったついでに、私たちは文京区関口あたり椿山荘周辺や神田川沿いを散策した。
まず、村上春樹が寮生だったという「和敬塾」へ。大林宣彦監督の映画「ハウス」(いまはもう改築されていた)の舞台になったことでも有名だ。
だいぶん前のことだが、和敬塾には居合抜きの師匠とともに二、三度伺い、学生たちと稽古したことがある。武道場は昔のままの佇まいを残していて、懐かしく思いだした。


熊本藩元細川邸あとの新江戸川庭園にははじめて訪れた。駒込の六義園のような大名庭園であるが、野趣に富んだ景観は素晴らしく、多彩な草木にも見るべきものが多かった。

      

椿山荘隣のフラワーショップはなかなかのものだった。

   

 


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