小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

ゴーンの欲望、エゴ。その強度 (続き)

2018年11月23日 | エッセイ・コラム

 

カルロス・ゴーンの両親はともにレバノン人という出自とのこと。先祖代々レバノンのマロン派キリスト教徒だったそうで、中近東というとイスラム教の人ばかりだけでなく、かつてはキリスト教信者も多く、共存共栄していた時代もある。(同じキリスト教でも、マロン派はシリア・アルメニア正教会とは敵対していた。それよりも、欧米の植民地政策は、民族・宗教を分断し、今日まで強い影響を及ぼしている。)

そもそもレバノンの建国には、フランスの影響力が大であり、元首をキリスト教徒(マロン派とカトリックは同胞関係)から選ぶ体制を作りあげていた。現在はどうか分からないが、イスラム教徒からの圧力・差別があったのだろう、ゴーンの両親はブラジルに移住した。(マロン派は人口の3割で、他はイスラーム)

カルロス・ゴーンはそのマロン派キリスト教徒であるが、少年期にレバノンに移住し(注:別記)、イエズス会系の教育機関に入ったことで「カトリックのフランス」の教育システムにスムーズに乗ったということだ。語学だけでなくあらゆる面での能力が高かったからか、フランスのエリートコース(パリ国立高等鉱業学校・博士課程)に進んだ。(以上、竹下節子さんの受け売り多し)

学業を終えたゴーンは、ミシュランガイドでも有名な、自動車タイヤのミシュランに入社した。
そこでアメリカ、ブラジルのミシュランでコスト・キラーとして頭角をあらわす。しかし、ミシュランの御曹司が社長なること分かり、ゴーンは袂を分かち、ヘッドハンティングされてルノーへ向かう。

ブラジル生まれのカルロス・ゴーンが来日したときはフランス国籍をもつブラジル人として知られた。話す言語も、母語のポルトガル語だけでなく英仏西語にも堪能であり、少年期にはベイルートで過ごしたのでアラビア語も話せるはずだ。まあ、彼のエスニシティは、レバノンだと思われるが判然としない。(レバノン人の夫人と別れ、ふたたび若いレバノン人の女性と再婚している。離婚費用その他は会社が負担したらしいのだが・・)

ともあれカルロス・ゴーンという人物は、まさしくグローバリズム経済の真っただ中を突き進んできた。多文化・多言語のなかで生きぬき、強いエゴ、アイデンティティを醸成してきたとしか言いようがない。異なる文化、話す言語の違うそれぞれの環境で、自分の能力を磨く。国際的なビジネスにおける様々なフェーズに対応できるコミュニケーション・スキルを磨き、自己を推しだしてゆく強力なプレゼンテーションを発揮してきた、まさしく超エリートだといえる。

 

アメリカの社会学者であるアーヴィング・ゴッフマンは、社会的状況のなかでの行為、そこに自己演出、演技の効果・役割を研究し、社会学に「自己呈示のドラマツルギー」という新たなフィールドを開いた。筆者はその一端を齧っただけだが、いわゆる「セルフ・プレゼンテーション」の巧みな人は、ブラフ(Bluff)とかポーカーフェースなどの「演技」に優れ、自分の行為を有利に導く。

演技だけにとどまらない、観客に向けて共感をあつめる仕掛けも行う。「サクラ」という言い方が悪ければ「良き理解者」を使って、オーディエンスの一部として振舞わさせる。理解と共感が伝播、増幅し、観客全体を引きつける狙いだ。決して視線をそらさない、ゴーンの強いまなざしも、確信と信頼を培う。

また、ある事柄に精通していても、ときに素人を演じることもある。相手の話を先読みし、想像力・類推力が優れているよう体を装うのだ。我々からすれば狡すっからい手口に思えるが、すぐれた演技者ならば、頭の回転がはやく、理解力のふかい人物として認知される。

日本人からすれば、日常生活においてそんな演技は持続できない。そういう演技はたぶん違和感をおぼえ、自己を偽る所業としてしか思えない。強いエゴと、演技を貫く忍耐力がなければ、「自己呈示のドラマツルギー」は生まれないからだ。

しかし、その人物がきわめて地位が高く、高学歴、高収入の人物であるとしたら、あなたはどういう印象をもつか。ゴーンはさらに5つの言語を駆使し、それぞれの文化的なバックボーンさえも理解している。多種多様な人間が活躍する国際ビジネスの場で、そんな人物はまさに最高の「演技者」になりえるし、多くのオーディエンスを魅了する。

筆者は、カルロス・ゴーンこそ「最高の演技」の使い手であったと考える。なぜなら、臨機応変に自分を演出できるダイバーシティ・スキルをもっていた。

ゴッフマンはいう、彼は「確信にみちた審判のふり」をする。それは「威信」さえも感じさえるかもしれない。利他的にもふるまい、情報(インテリジェンス)を自在にコントロールしているように見える。

ゴーンはなぜ「最高のコストカッター」と言われたのか? 要するに「コストカッター」という「役割」を自分で演じて魅せたのだ。誰もが手をつけられなかった人員の削減、部署・子会社の整理などを断行した。そのパフォーマーとしてのベストの演技をした。悲しみと痛みが伴っていたとしても、業績や利益が伸びている間、社内の多くはゴーンを称讃する良き観客になっていたはずだ。

 そうした「セルフ・プレゼンテーション」の積み重ねによって分散していた「権力」を集め、ゴーンならではの独裁者的なふるまいも受け入れられるものとなった。彼の並み外れた強欲さえも、多くのオーディエンスを魅了したかもしれない。もちろん、晴れの舞台に立っている時だけだが・・。

日本人のエゴ、欲望は、外国の人からみれば貧弱にしかみえないであろう。そのかわり、集団化すると怖れられる。

 

 注:別記 本記事のアクセス数が多いので、この部分を訂正する必要があると判断した。書いた後に面白い記事をみつけた。不思議なのだが、それは三菱自動車販売の地方ディーラーのHPなのだ。その編集子がカルロス・ゴーンの出自等を特集・編纂していた。その記事は丁寧かつ詳しく調べたもので、カルロスはブラジルで生まれたとあった。で、自分の書いたものが誤りであると分かった次第。

ゴーンの祖父が家族を伴いレバノンからブラジルに移住したことが始まりだ。祖父は財を成し、立身出世の確たるイメージ、その影響を孫のカルロスにあたえたようである(ゴーンの父については詳しくはふれていなかった。ともあれ、才能に恵まれたゴーンは年少の頃に、レバノンにあるマロン教のミッション系進学校に寄宿。後にフランスの一流エリート校に進学している)。

いま、カルロスは無断出国し、レバノンに逃れ世界を騒がせている。事は善悪、国際法の内外の範疇で取りざたされているが、そんなもんではあるまい。自分なりの結論が出せたら記事にしたい。(2020.1.7記)


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