小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

賢太と慎太郎②

2022年02月15日 | エッセイ・コラム

前回の続き

まず前置きとして、石原慎太郎について詳しく知らない。だから語る資格はないし、知ったようにものを書くのは不遜である。では止めますというのでは、読者に失礼だ。この身のダブルバインド状態を、ちと伝えたかった次第である。以上

優れた「石原慎太郎論」はあるか。巷では江藤淳のものが評価高い。江藤は神奈川の湘南高校にいたとき、石原慎太郎と同窓生であった。石原が35歳のとき国政選挙に打って出た。文学と政治の二足の草鞋で批判も多かったが、空前の三百万票以上という得票で当選した。それ以前、江藤は立候補する時の石原について、雑誌にこう書いた。

中学生時代からよく知っている友人が立候補し、私はその人間を信用している。それならそれ以上のどんな基準によって判断しろというのか。作家のままにしておきたかったのは私の勝手であり、政治家になろうとしているのは石原の意志である。この際その素志貫徹のために一票を投じるのは友達甲斐のうちである。

小生は石原慎太郎の著作を読んでいないが、江藤淳のものは多少読んでいる。夏目漱石、小林秀雄関係の本、そして近年になって『1946年憲法 その拘束』を読んだ。吉本隆明は、漱石論などの文学批評よりも、こちらに江藤の本領・価値をみていたのではないか・・。

江藤淳は戦後まもなくアメリカに行き、日本憲法が成立する言語空間、アメリカの占領政策の論理構造をつぶさに研究、検証した。その個人的営為は本質的だし独創的である。彼が著わした戦後論に関する批評、論評は、当時の言論空間にはびこっていた二流知識人(右派左派含め)たちの欺瞞や倒錯をえぐるものだ。

ちょい脱線した。優れた「石原慎太郎論」として江藤淳のものは世評高いが、つまりは竹馬の友の論評であるから、少々割り引かないといけない。てなことを言いたかったのである。では、他にあるかというと、見つからない(※1)。何故なのか? 石原慎太郎自身の問題ではないか、と考えざるをえない。

石原慎太郎が芥川賞作家になったのは、一橋大学在学中の昭和31年である。小生が小学校に入学した年である。デビュー作の『太陽の季節』が映画化され、その主人公に実弟の石原裕次郎が起用され、銀幕デビューするという、これまた日本人好みの「ハレ」の演出、その波状プロデュースであった。仕掛けがないと実現できないはずだが、詳しいことはしらない。

当時、東京にはたくさんの映画館があり、系列により観る映画の傾向も違った。東映や大映系は時代劇が多く老若男女向き、松竹は大人向け、特に女性中心、日活は活劇、青春ドラマで男女の若い層向け、と棲み分けがされていて、地元の映画館によって観る映画が決まってしまう。小生は、いちばん近い映画館が東映系だったので、ヒーローといえば片岡千恵蔵、大友柳太郎、東千代之介、大川橋蔵、伏見仙之介扇太郎などなど。山城新伍や大瀬康一らはテレビでデビューだったか・・。少年時代に日活映画をたくさん見た人は・・・どんどん脱線してくる。

 

そう、「石原慎太郎論」の不在は、彼自身の問題なのだ。彼は弟・裕次郎とともに戦後スターとして大衆の支持と人気を得た。慎太郎だって、実は映画デビューしている。戦後の混乱期を抜け、清新で活力あふれるイメージで、アメリカ男優にも負けないカッコいい日本の青年。ハンサムで足が長いことと、スパッと単刀直入に「言いたいことを言ってのける」ことは関係あるのか・・。ここでは大いに関係あると、言わざるをえない。「その論拠とは?」「オっさん! そんなことを言うからダサいんだよ」。以上

石原慎太郎の父親は、エリートというよりたたき上げの社員で、海運会社の重役にまでなった人だ。信頼性にあふれる人間力があったのだろうか。海運、貿易に携わった人は、国際関係など視野が広い。その分、観察力や大局観にも優れたものがある。ともかく、政治家や実業家が多く住む湘南に、石原兄弟は青少年期を過ごす。戦後は、横浜、横須賀に近いから占領国アメリカの影響力も色濃いだろうから、彼の頭のなかには神国日本、御霊信仰、保守皇国なる言葉はなかった。戦争時代に刷り込まれた鬼畜米英も、頭の中から払拭されていたであろう。

たらたら書いていると論点が絞れなくなる。言いたいことは、若い時の石原には、自身の将来設計のなかに「政治家」という像は皆無だったといえることだ。

彼が一橋大に入学したのは、政治・社会学的なるものを志した、と小生は勝手に思っていた。調べたら実は違っていて、公認会計士になることが最終目的だったそうだ。で、在学中にその方面の関心を失い、文学に興味をもつようになった。というより、社会や人を動かすような、インパクトのある小説を書くことをめざしたのだと思う。

だんだん、「賢太」の輪郭が朧げにも見えてきた。35歳で政界に入り、彼は自民党のブレーンであり、プランナーやスポークスマンという役割をもたらされた。それは宿命だろうし、最終的には「首相」という地位を見据えたと思う。大臣を勤めたし、歴代の首相から直々の政治学を学んだはずだ(特に中曽根康弘)。

政治思想的には旧友江藤淳の、憲法改正を視野にいれた、アメリカ従属の戦後政治を脱却する骨太の理論を身につけたと考える。しかし、いつからか国の首長になる夢を諦めた。(その過程は本稿の趣旨とはずれ、ここでは言及しない)。

そして時代は世紀末。彼は、1999年に東京都知事になる。西村賢太は32,3歳、同人誌にボチボチと私小説を発表しはじめた。「秋絵」(仮名)という同棲していた女性に対してDVや恫喝をはたらいていた頃か・・。

この頃の世界は、どんな時代だったかと総括できるだろうか・・。日本ではバブルがはじけ、「失われた10年」をどう取り戻すか、多様化・多文化などグローバリズムへの順応か。より思想的、政治的なカテゴリーでいえば「新自由主義」が、日本社会にもじわじわ押し寄せてきた時代である。

結論を急ぐ。このアメリカ発の「新自由主義」は、グローバル資本主義と相まって、富や地域の格差、また宗教と人種の分断がより鮮明になった。社会文化的には、自己責任の薄弱なもの、広い意味での「弱者」への差別、排除を厭わないムードが蔓延したかと思う。そのカウンターとして、LGBTやジェンダー差別への運動が市民レベルで起こったともいえる。

この「新自由主義」台頭に対する、世界的カウンターカルチャーの動きにもっとも鈍感というか、見て見ぬふりをしたのが日本の男社会、とりわけ政界・官界の「ますらお」たちである。実業界も然りだ。彼らは間欠泉のようにタブー発言を繰り返し、その都度陳謝するが、マスコミを前にすると呪いにかかったように差別的暴言を吐く。

麻生、森なにがし、そして都知事という首長になった石原慎太郎もまた繰り返す。彼は特に、マスコミの挑発というかレベルの低い誘導質問に業を煮やし、「賢太 貫太」のようにぶち切れて、差別的発言する。学習、自戒しないのは、もちろん本人に問題があるのだが、「新自由主義」がはばをきかしていた時代の風潮も見逃せない。

さらに、世の中には「差別」を認める、あえて承認しないで黙認するという「狡い層」がかなりいる。そこに男女の差はない。そうした層に向けて、ターゲット・イシューの戦略を構築するのは、「新自由主義」台頭に最大限寄与した「ポピュリズム」の絶対的な力があるからだ。格差は鮮明になり、弱者は切り捨てられる。「駄目なものは駄目」なのだという単純な力の論理がはびこったのは、アメリカ由来の「新自由主義」の影響がおおきい。

賢太と慎太郎の二人が、「ポピュリズム」を意識的につかって発言したり、ものを書いていたとは思えない。しかし、彼らは支持者や読者からなんらかの反応があり、手ごたえもあったのではないだろうか。

さらに言えば、小生をふくめて日本男子がジェンダー差別に鈍感なのは、江戸時代からの儒教教育がかなり影響をあると思っている。端的に言えば、「論語」にみられる男尊女卑の考え方が、藩士(倒幕・佐幕ふくめ)の子弟(寺子屋に出入りした子どもふくめ)に受け継がれていた。それは維新後にも続いたし、陸軍学校を頂点として、軍事教育にも浸透していったことは明白である。

もちろん、明治になってからは渋沢栄一の『論語と算盤』を嚆矢として、白川静、加地信行などは、女性の役割や存在価値を「論語」から読み解いている。渋沢は特に、古い時代の女性観は、近代化を進めている日本にはそぐわないといい、女性にも参政権を認めるべきだとまで主張した。渋沢一族は女性にだらしない男は多かったが、少なくとも栄一は維新以前に洋行していて、世界における先進国の女性の地位までしっかり見届けていた。

LGBTはじめフェミニズムなどの立場の人だけでなく、社会から差別をなくすことは現代の至上命題だ。作家が書くテーマは生と死、人間の業、善と悪、男と女、差別や暴力など、すべてが書く対象となり、高度な想像力が求められている。彼らが書くことへの圧力、妨害は決してあってはならない。それゆえにこそ、作家は読者の要望があっても、人間性を貶め、悪意を喚起し、差別などの劣情に訴える作品は書くべきではないだろう。

論語における「男尊女卑」について課題は残したが、いつかこのテーマにふれてみたい。論語は、端的な言葉できわめて簡略に書かれている。また、弟子たちによる孔子の言葉の伝聞でもある。それゆえに解釈の幅がおおきいのだ。尊敬する安富歩氏にも、論語注釈の著作はあるが、この手のテーマは今のところ見つからなかった。不思議だ。いつか、本格的な論考というか、読み解きがあることを期待して、この稿をひとまず閉じることにする。

 

追記:今日の東京新聞朝刊には、偶然の一致というか『石原慎太郎氏の差別発言 いま再び考える』が2/3の紙面を使って特集記事として紹介された。これまでの発言の具体例、識者3人による見解という構成だ。いずれも批判的内容であるが、本人の問題はもとより、彼の発言を「石原節」として軽く看過するマスメディアの責任も大きいという指摘に注目した。

(※1):中島岳志氏の『石原慎太郎 作家はなぜ政治家になったか』という著作があった。この人のものはいつか読みたいと思う。

 

 


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