小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

年頭に思う由無しごと

2022年01月08日 | エッセイ・コラム

●原子力発電はクリーン・エネルギーだとして、先進諸国で見直されはじめている。原発推進、その政策転換を示したのは、まず英仏。反対運動はあるや無しや、報道は皆無だ。アメリカ、日本もそれに続く気配濃厚で、先進諸国がこの体たらくなら、発展途上諸国はそれに倣うのが必定となる。

SDGs目標として原発そのものは適合するのか。科学者による検証とか、あらゆる観点からの評価はどうなのか。あな恐ろしや。

脱炭素の目標としては適うというか、沿うような気がするが、使用済み燃料、放射性廃棄物の処理という観点からいえば、課題はまったくクリアされていない。科学的ソリューションにしても、技術的対策として物理・化学的な方法論、システムはいまだに確立していない。

原発はそんなに手軽なエネルギー源であり、費用対効果は優れたものなんだろうか・・。そんなはずはない。かつて、師と仰いだ吉本隆明は、放射性物質はそもそも宇宙で誕生した物質だから、その燃えカスも宇宙にそのまま還しても、なんら影響はないと言った(原理的には正)。叡智を極めた人類は、いつか偉大な科学技術を駆使して、核のゴミ処理を解決するはずだと豪語した。「宇宙エレベータ」が頭によぎっていたのか・・。

これは知識の驕りであり、吉本の傲慢さが出たものと感じた。人間1人を宇宙へ運ぶために、50年ほど経っている今もなお、莫大な資材・経費を投入している。アメリカは現段階では、もはや放棄している。宇宙技術の進展もそれほどないし、宇宙旅行は、お金持ちのための地球周回アトラクションと化した。

北欧では人の住まない広大な敷地の地下奥深くに、使用済み核燃料を埋める計画が進み、フィンランドではオンカロという所に、10万年を見越した最終処分場を建設中だ。地下400mもの深さらしいが、大きな地殻変動は何万年先にも起きない確証があるとは思えない。先ごろ退任されたドイツのメルケル首相は、やはり先見の明があるというか、国益を短期的な視点で考えない、凄い人だと思う。なにせ現在の政治家は、短期的な国益=経済繁栄しかものを考えない人たちだ。

 

●外資系ニュースサイトを見たら、「ゴールドマンサックスは1ビットコインがいずれ10万ドルになると予測」したと、トップニュースの扱いだった。以前、EV車のテスラのイーロン・マスクがビットコイン相場に15億ドル投資したことが話題になった。それ以前、FBザッカーバーグは、仮想通貨には関わらない方針を出し、諸外国政府も、金融取引には仮想通貨(※注)を排除する方針をしめしていた。

しかし、テスラ社が、資産(何%か忘れた)をビットコインに投資したことで、金融界の潮目が変わったかもしれない。

かつてネットでピザ1枚を注文する通貨として始まったビットコインは、今や何千倍もの価値を創造する金融資産となった。数多くの仮想通貨のなかでは、ビットコインは腐っても鯛のような位置づけにある。それはやはり、ブロックチェーンの信用性とマイニングを継続することの費用負担や設備投資も伴うことで、それなりの価値と国際市場性を発揮している。

とはいえ、実質的な評価としては、精々1万ドルほどの価値しかない、と小生はみる。この時機に何故、ゴールドマンサックスが倍付けの評価をしたのかが分からない。生き馬の目を抜く金融大手ではピカ一だが、詐欺まがいのことをやってマレーシア政府に4千億円ほど罰金をすんなり払うという荒業もつかう。

不動産を基軸とする投資会社が、なんの根拠を示さず、ビットコインへの投資期待をなぜ発表したのか・・。将来の暴落を見越して、手持ちのビットコインを売り抜けようとしている・・。まあ、ここは静観するしかない。現在は、5万ドル前後で取引されているが、どうなるのか見ものではある。

(※注):「仮想」も「暗号」も文字としては、イメージの実体がないシニフィアンだ。ただ、「暗号」は人間が努力して作りだしたイメージがある。それゆえ「暗号資産」という言葉が「仮想通貨」に取って代わって使われている。人間が関与している確かなイメージを匂わすが、どう足掻いても、実体のないものは「仮想」でしかない(令和4年1月10日追記)。

 

●去年の暮れに放送された、NHK BS番組『欲望の資本主義・成長と分配』をビデオで見た。各国トップの経済人が登場し、ポストコロナ禍を見据えての資本主義経済のあり方を展望していた。

そのなかで『人新生の「資本論」』で注目された斎藤幸平と、『善と悪の経済学』のトーマスセドラチェク のオンライン対話に注目した。二人の思い描く社会イメージは似通っているものの、チェコのセドラチェクは「共産主義」という言葉に生理的嫌悪感があるようで、斎藤が主張する分権型のコミュニズムな持論に対し、きめ細かい反論を展開していた。(追記:『人新生の「資本論」』は未読。インターネットの使い方いかんで、一党独裁という制度的ガバナンスは糞お荷物になる。たぶん、それ位のことを言っていると思う)。

ここで書き記しておきたいのは、その議論の中味ではなく斎藤幸平の英語の巧さである。発音はネイティブとは言えないまでも、RとLの違いをふつうにこなす発音で語彙力も豊富だった。調べたらコネチカット州のリベラル・アーツ系のウェズリアン大学出身とあり、たぶんディベートで培われた英語力は、本場でも通用する合理性と説得力があった。セドラチェクにしてもチェコ人だが、斎藤と同じように英語は達者であるが、言いよどむこと暫し。

それにしても、斎藤幸平は頭の回転がはやい。自論を展開するうえで、相手が見逃している点を即座に指摘し、それに反論しつつも、さらなるフェーズの議題として論理的に指し示す。その思考の持続力を見習いたい、それだけの理由しかないが、斎藤幸平を支持したい。英語を学ぶ、実際につかうことを想定した場合でも、二人の議論は、たいへん勉強になった。

 

●年頭だから縁起のいい話でもしたいところだが、やはり案の定、オミクロン株が流行りだした。欧米では年末からすごい勢いで感染者数が増えていて、日本のそれはやはりワクチン接種の遅れがそのまま感染拡大のタイムラグになった。それを言った人の名前を失念したが、接種の遅れが抗体の有効性を持続させたまでという話はほんとだった。2回接種しても、コロナウィルスの抗体は半年ぐらいしか有効性を発揮しない。流行の周期にあわせて、ブースター接種が今後も必要となるのだろう。(追記:アメリカでは毎日2000人弱の死者がいる。その大半がワクチン未接種の人たちだ)

イギリスでは、ロックダウンなんかせずに集団感染によって対抗する施策をとった。むろん感染しても重症化率は低いとの推測だろうが、科学的な根拠をしめしていない。基礎疾患のある高齢者や、免疫系に弱点がある人は依然として要注意である。

 

●寅年だからというわけではないが、新年早々どこかの動物園でほんものの虎が飼育員を襲った。女性飼育員の右手首を食いちぎり、助けに駆けつけた二人にも怪我を負わせた。人的なケアレスミスだったことが判明したが、日ごろお世話になっている虎君は、なんで襲いかかったのか? その心境とやらを尋ねてみたいものである。虎に変身した物語、中島敦の『山月記』は大昔に読んだ。なんで虎に変身したのか忘れてしまった。再読する必要を感じた。

ということで、年頭におもう由無しごとは以上である。まだ、2,3あるが、だらだらと書きそうで、この辺で筆を置くことにする。いつもながら、偉そうな文体で読んでいただく方には申し訳ないと思う。これも、年頭の所感としたい。

▲年末に行った舎人公園にて。年賀状のロケハンという目的もあった。試写とはいえ、お粗末な出来でも虎なのだ。


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