鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

341 春の歌学(4)

2024-03-21 13:04:00 | 日記

彼岸となったものの気温は2月に戻ったような寒さだ。

ただ鎌倉では先日の暖かさで辛夷や紅彼岸桜は咲いたので、歌学の成果を試しに谷戸へ吟行に出た。


歌学でたびたび語られる「丈高き」は品位格調の事、「古き調(しらべ)」は流麗典雅なる音律の事だ。

ーーー現(うつつ)なき夢の中にも風吹きて 花の心を揺すりて止まずーーー



「丈高き」「古調」などを心掛けて詠むと、同じ内容の歌でも例えばエンジェルボイスの歌声のように詞がこの上なく美しく響きだす。

中世歌学の言う麗様(れいよう)とはそんな美しき詞だけで構築された夢幻世界を言う。

「天津風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ」

世に知られたこの僧正遍照の古歌などが麗様の最高到達点だろう。

とことん世俗の情を退けた聖域と言うべきか、現代の口語短歌とは正反対の行き方だ。


また西行のような心情の露(あらわ)な歌風を有情(うじょう)とか有心体と呼ぶ。

ーーー春雨の山は辛夷にほの白み 世捨てし者の神寂(かむさび)の谷戸ーーー



我が谷戸にあった大きな辛夷が数年前に半分ほどに切られてしまった。

山に聳えていた頃の辛夷の姿を我が胸中の山河に残すべく、有心体の歌に詠んでみた。

三好達治の詩では高く花を掲げた山辛夷を「天上の花」とも言っている。

詩人の眼にも辛夷は花精の宿る樹に見えたのだろう。

この歌は定家歌学の有心体と言うより、その後に出てくる新続古今集の有情幽玄体に近いかもしれない。

この辺の歌風が隠者には似合いのようだ。


また古の歌学書では、心は新しく調べは古風にと言っている。

ーーー隠國の春は八千草百千鳥 汝(なれ)は花人我は歌人ーーー



我が荒庭に帰り椿の精と共に夕べの茶時にしよう。

隠國(こもりく)は幽陰の里の事、百千鳥(ももちどり)は古今伝授の中の哥鳥(うたどり)で、これらの風情ある古語は典雅な調べの詠歌には必須だろう。

例え世人には通じずとも八百万の神々や精霊達には通じる雅語倭詞(やまとことば)は、逆に現代最先端ファンタジーにも使える詞だと思う。

とは言えそれらの古語でも今の口語と同じ日本語なので、6〜7割の大意は現代人でもわかるはずだ。


そんな訳で己が歌に些かの聖性を加えたければ、須く自然神や精霊達に通じる神聖古代語の詠歌になる。

現代人にはややわかり難い雅語が増えるが、読者諸賢には御容赦願うしかない。


©️甲士三郎



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