鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

300回記念 幽境の珈琲座(4) 付録歌集句集

2023-06-08 13:01:00 | 日記

お陰様で当稿も不倒の連載300回を迎え、その記念として番外に歌集句集を付けたので折々ご笑覧あれ。

さて今回は箸休め程度だが、珈琲座の話ももうしばらく続けよう。


我が荒庭には56種の紫陽花があり多少日当たりが悪くても育ち、ひと月程は次々と咲き続けて色の移ろいまで楽しめる。



(筒片口花入 清水六兵衛 明治時代 ポット カップ コーヒーミル 昭和前期)

梅雨時の珈琲はホットにするかアイスかが大問題で、私は氷を入れず冷ましただけの珈琲にしている。

珈琲碗は古い益子のデミタスサイズで、これも簡素なデザインながら肌に深みのある手作りの品だ。

多彩な紫陽花の色を生かすためには、花器珈琲器は色味の少ない物を選ぼう。

近所の路地にも数種の紫陽花が集まって咲く秘密の場所があり、そこでは人力車で案内された和服のお嬢さん方が記念撮影している。

鎌倉の車夫達は隠れた路地の四季の撮影スポットを良く知っているのだ。


この時期の庭は梅と杏と桜桃が実っていて楽しい。



(江村煙雨 中村不折 益子焼湯呑 昭和前期)

中村不折はWikiなどで洋画家と紹介されているが、私の目に付くのは圧倒的に文人画が多く漢詩も書も評価が高い。

正岡子規とも友人だったので、俳句関係の人はそちら方面でご存知だろう。

写真は直筆の小色紙で五月雨に烟る漁村が墨調豊かに描かれている。

冷ました珈琲には意外とごく普通の古い湯呑が似合い、釉薬の垂れと墨の滲みが外の雨音と呼応するようで心地良い。

昭和30年頃の古民芸ならまだ手頃な価格で選べるので、昭和レトロ物は若い人達にも広まっている。

朽ちかけた木皿に落梅を入れて、その香りで部屋中を爽やかにしよう。


こちらは枝付きの杏を飾った。



(海やまのあひだ 初版 釈迢空 伊賀焼珈琲碗 現代作家物)

釈迢空の歌集は大正時代なので珈琲碗もせめて戦前の物にしたいのだが、伊賀信楽ではなかなか見つからない。

この珈琲碗は陶印が釉薬で潰れて読み取れないものの、伊賀らしく上手く歪んだ最近の作家物だ。

少し分厚すぎて真夏には合わないだろうが、梅雨寒の朝晩には藁灰釉の自然な明るさが馴染む。

「海やまのあひだ」は日本の伝統的な精神文化が息づいている大正短歌の秀作だ。

釈迢空や会津八一らの晩生は大戦に振り回されてか見るべき物は少なく、敗戦後はそれまで日本の伝統文化を担ってきた知識人層の凋落振りが悲しい。


今週は句歌集をまとめるのに時間を取られたが、また次回には落ち着いて珈琲座の話をまとめたい。


©️甲士三郎


299 幽境の珈琲座(3)

2023-06-01 13:00:00 | 日記

離俗の珈琲座で小半刻の夢幻に浸るには、古き詞華集は良き導き手となってくれる。

最近隠者が珈琲時に好んで読んでいるのが、西洋の古詩をちゃんとした文語韻律で訳してある明治〜戦前昭和頃の訳詩集だ。


まずは最も簡素な道具立てで小さな詩集と珈琲を味わおう。



(ブレイク選集 初版 山宮充訳 珈琲碗 バーナードリーチ工房作)

この可愛らしい詩集は恩地孝四郎装丁で、大正期に流行した挿絵入り豪華袖珍本(小型本)シリーズだ。

巻頭の春夏秋冬4篇の詩は圧巻の出来で、詩画人ウィリアム・ブレイクの荘重な自然観が味わえる。

ギリシャローマの神話を継いだイギリス浪漫派の格調高い詩は、珈琲の香と共に俗世を離れた夢幻世界に誘ってくれる。

古詩に合わせカップ&ソーサーもバーナードリーチ工房製の最も古風なデザインの物を選び、英国の重厚なる神韻の詩に敬意を捧げよう。


当時の訳詩集には天金で革やクロス貼りの格調高い装丁が多い。



(月下の一群 復刻版 堀口大学訳 青南京ポット ボウル 瓶 清朝後期)

歴史的な名訳詩集である堀口大学の「月下の一群」は、さすがに日本語の韻律もしっかりしていて詩魂もある。

実は初版本も持っているのだが、余りにも表紙がボロボロなので写真には復刻版を使った。

この書に比べると後世の翻訳家達の散文調口語訳はがっかりするほど俗化していて、学生や若い人達には到底おすすめ出来ない。

原詩から韻律を省き口語自由律で意味だけ訳したものは例えば和歌や俳句の七五調を崩して平文と堕すに等しく、真っ当な訳詩を読みたいなら上田敏、永井荷風、堀口大学ら戦前の詩人達の品位ある文語韻律の翻訳以外はお薦めできない。

原語で読めば良いと言われればそれまでだが、そう言う人は原作を凌駕する蒲原有明訳の凄さなどは多分ご存知無いだろう。

さてフランス詩なら珈琲もカフェオレが良いだろうと、清朝後期の青南京手のポットとボウルと花器を揃えた。

この珈琲座なら100年前の鎌倉文士達が奪い合うようにして読んだ西洋詩への憧れを感じられるだろう。


次は長雨を晴らすような明るいイタリア紀行の古書。



(ヴェネチア風物誌 初版 レニエ 窪田般彌訳 白釉花入 小代焼珈琲碗 昭和初期)

レニエの「ヴェネチア風物誌」は地中海の光溢れる詩的な紀行文で、鎌倉も明るい海辺の古都と言う共通点があって参考になる本だ。

レニエはフランス象徴派より少し前の作家で永井荷風が相当入れ込んでいて、荷風の訳詩集「珊瑚集」の中の「仏蘭西の小都會」はその気持ちの伝わる名訳だと思う。

花も今回はイタリア風に飾り付け、初夏の窓辺の光で眺めながらの高雅な珈琲座だ。



昨今では一般大衆向けの出版社の都合で与謝野晶子や泉鏡花の口語訳本まで出ていて日本語である文語でさえ異国語のような扱いだが、元々文芸の愛好家など全体の1割もいなかったのだから詩歌を解する人数なんぞ今も昔もそう大差無い。

珈琲と古詩と言う無上の悦楽を知る、ごく限られた者達に幸あれと祈るしか無い。


©️甲士三郎