鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

301 幽境の珈琲座(5)

2023-06-15 13:04:00 | 日記

古来の茶はまず目覚ましの妙薬として高雅な香気や味覚が珍重され、、やがて離俗清澄なる場で喫する聖なる飲料にまで洗練された。

それが後世の大衆消費により単なる水分補給の嗜好品と成り下がったものの、古様の侘茶には現代でも捨て難き美点が多々ある。


今世紀の抹茶衰退の最大の原因は正座の強要にあるだろう。

更に一般世間では正座の生活を嫌って和室や和風建築そのものまでが滅亡しかけているのだからその罪は大きい。



(直筆書軸 釈宗演 古織部茶碗 幕末頃)

正座の風習は古来の武家公家の礼法には無かったにも関わらず幕末頃から諸流派が普及させてしまい、結果的に和風の生活様式全ての衰退の主因となった。

そもそも織田信長ら戦国大名や朝廷の公卿達が正座する訳が無かろうに。

古より武家正統の作法は地下(戸外)では蹲踞、殿上(室内)では胡座である事を今改めて周知徹底したい。

であるからして我が珈琲座では高貴なる胡座点前をもって最上の礼となす訳だ。

古流の床の間では幽玄美を呈するのに室町桃山の文物を揃えるのが常だが、今回は珈琲でも使えるような幕末明治の茶碗と書で何とか古格を出してみた。

実際に織部の沓茶碗を使ってみると、そのひょうげた姿や絵が珈琲にも実に良く合うのだ。

書軸は鎌倉禅の巨星、釈宗演の「知天」。

この書体もまた破格にひょうげている。


蒼古幽玄の道具類は近現代では得難いものの、探せば玄妙なる珈琲器も稀にある。



(直筆句軸 高浜虚子 珈琲碗 浜田庄司 古瀬戸ポット 李朝小花入)

戦前の古民芸では浜田庄司ら益子焼の作風が桃山茶陶の雄渾さに通ずる所があり、各種珈琲碗の中でも最も隠者好みだ。

ポットと花器は明治頃の作だが、ドリッパーは当時まだ作られていないので戦後の物で合わせた。

桃山時代の京の町も今と比べれば遥かに自然に囲まれていた中で、更に市塵を断つための茶庭茶室を建て床飾りを凝らしていたのだから、現代都会人は少しでも工夫して離俗の珈琲座を設え洗心の聖域を創りたい。

軸は「蝶々の草にかくるる夕日かな」高浜虚子。

この句に紫陽花の広葉に隠れて雨を凌ぐ蝶を重ねつつ、梅雨深き珈琲座の夢幻に浸ろう。


江戸中期の文人達は煩雑な約束事で形骸化した抹茶道を見捨てて、当時の先進流行だった煎茶に自由闊達な精神を見い出していた。



(木彫花台 清朝時代 カップ ポット イギリス作家物)

田能村竹田らの画軸(前出)を見ると、当時の文人達は季に付き折に付き野点の煎茶を楽しんでいたようだ。

深山幽谷の詩宴茶宴を描いた詩画も数多くあり、京の知識人は皆文人茶に魅入られていた事が良くわかる。

彼らに習って戸外の珈琲座は適時自由に開放的に、最小限の道具を(缶コーヒーやペットボトルだけは避けたい)茶籠に入れて出掛けよう。

小型の本は若山牧水の「渓流集」初版で秋の山中吟が多いが、涼しげな歌集なので蒸暑い夏に読むのに好適だ。

我が谷戸は古来からの竜脈の地にあり、例え近所の草叢と言えども天霊地気に満ちているはずだ。

散歩や外出が減りがちな梅雨の時期こそ、稀少な晴間には戸外の光と風を浴びたい。


次回は残るアイスコーヒーの話をして珈琲座の話題は一旦終えたい


©️甲士三郎