江戸時代の木版和綴本では和文は草書体が多くて読み難く、私には漢詩漢文の方がまだしも判読しやすい。
江戸の漢詩の中でも私の研究テーマである京都に集った文人達の詩書は、以前の安かった頃に必要な分は確保できたので安心だ。
猟書家の常として初版本で2世紀前の物を集めなくてはならず、ネットが無い時代ではまず不可能だったろう。
(山陽詩抄 山陽遺稿詩篇 初版 江戸後期)
法師蝉の鳴き出した窓辺で頼山陽らの詩に浸れば、いつしか己が身も嘗ての山紫水明処に移転していよう。
明窓浄机とまではいかないが、やや暑気の和らいだ夕べは我が眼も少しは清澄になるようだ。
またそうでないと古人達の高雅な詩文は読めない。
頼山陽は「日本外史」が有名だが、隠者は彼の叙景詩の方が好みだ。
折々の行楽や洛東の宴で詠まれた詩は格調高く、隠者にはまるで理想郷の四季の景にも思える。
以前に山陽の詩軸を紹介したので今日は書の扁額だ。
(楽哉 頼山陽書 江戸後期)
山陽のいかにも楽しげな気分が伝わる書。
古の洛東鴨河畔を中心にした文人達の楽土の雰囲気を、そのまま我が草庵にもたらしてくれるアーティファクト(聖遺物)だ。
日々この額を掲げた下で茶を飲み詩画を案ずるのが隠者の至福の時となっている。
次は頼山陽や田能村竹田の良き友だった篠崎小竹の詩を読もう。
(小竹斎詩抄 初版 江戸時代)
小竹は茶会詩宴での即興詩に良作が多くあり、山陽や竹田の名も度々出て来る。
彼が詠んでいる美しき文雅の宴は同じ詩書画の徒として羨ましい限りだ。
まるで伝説の蘭亭の宴を毎月再現するかのように、文人墨客らが頻繁に集まり茶事を楽しみ詩書画に興じている。
竹田もそのような集いの詩を沢山詠んでいるが、彼の詩集「自画題語」は以前紹介したので今回は触れない。
江戸後期の京都では識字率はそこそこ高かったものの、読書人となると2〜3%だったそうだ。
そんな中でお互いの詩書画を理解し合える風雅の友はさぞかし貴重だったろう。
遺された詩や書簡から伺える彼らの友誼の篤さには隠者も感動した。
©️甲士三郎