隠者ながらも還暦を過ぎそれなりの栄枯盛衰を経てくれば、幸ある人生とは結局は日常茶飯事を楽しむ他ないのだと気付く。
この歳までに大抵の世俗の娯楽には飽きているので、出来るなら精神的に高雅な暮しを楽しみたい。
そこで古き良き時代の賢人の随筆でも読んで、風雅な暮しの参考にしようと思う。
数ある随筆の中で私が最も好きなのは、100年前の大詩人『薄田泣菫』の諸作だ。
(独楽園 薄田泣菫 古萩煎茶器 明治〜大正頃)
彼の随筆はまさに幽居独楽と言うべき日々を描いていて、花鳥風月草木虫魚などの身辺世界をいかに深く味わうかの良い御手本になる。
博学過ぎて私には追い付けない部分もあるものの、小さな自然に対する感じ方は隠者にも共感できる。
ここ1年程ネット上にあった泣菫の初版数々を、今のように値上がりする前に買い漁った。
(泣菫随筆の諸作 明治〜昭和)
この本棚の脇に座椅子を置いて、秋の夜長の書見を楽しんでいる。
大体が季節順に編集されているので、当季の所を拾い読み出来るのも良い。
ごく一部を読んだだけでも、身近な自然を十分楽しんでいるのがわかる。
晩年の10数年はパーキンソン病で口述筆記だったと聞くが、内面世界では至って健勝だったようだ。
泣菫は新体詩史上の金字塔「望郷の歌」を書いた詩人でもあり、散歩がてらの着想も多かったようだ。
写真は我が荒庭の道祖神だが、私の句歌も多くが庭先や散歩中に想を得ている。
ーーー嵐雲の一番端の夕焼かなーーー
また明日は台風の近づく予報だが、この句は先週の雨後の庭での景だ。
こんな暮しに甘んじつつ隠者の残生も、泣菫のように卑近な題材でさえ知的で美しい精神世界に昇華させられるようでありたい。
©️甲士三郎