先年古びて傷んだ英国製ライティングビューローを格安で入手して、それをこつこつ修理しながら使っている。
100年ほど前の物で両側にブックキャビネットの付いた、サイドバイサイドと言うタイプの古書を収めるには最適な形だ。
若い頃から使っている小型のライティングデスクも同時代の英国製なので並べても調和して見え、書く時と読む時で使い分ければ雑然としないですむ。
上部に陽刻模様のある飾り台も付いていて、イーゼルや燭台花器なども置ける。
真のアーティファクトたるべき本だけここに並べ、美しき詞達の聖域を築くのだ。
国文学者だった父が亡くなった時に、父と私の蔵書を合わせて数千冊は処分した。
それまでは文字通り足の踏み場も無いほど本に埋もれた家で、整理しようにもどこから手を付けたら良いか途方に暮れていたのだ。
(それでもこんな状態の本棚が今もまだ10以上ある)
ところがそれから10数年後の今年、書庫を片付けていたら見覚えの無い段ボール箱がいくつも出てきて、また不要な本が1000冊ほど隠れてれていた。
おぞましき書庫から脱出して、雨の上がった庭でガーデンティーにしよう。
(私が食べられないドーナツは家人が食す)
珍しい虚子の処女句集「虚子句集」の初版が手に入り、装丁の緑が似合う場所にティーテーブルを置いて優雅に読みたい。
断じてあの地獄の混沌のような書庫では読みたくない。
可能なら蔵書は100冊に留めよう。
何度も読み返せる生涯の友として相応しい書物だけを集め、あとはネットで読むのが現代では正しい。
読者諸賢の書斎はくれぐれも我家の本の墓場のような部屋にならない事を祈る。
©️甲士三郎