今年は日本各地で鎮花祭が取りやめになる中、我が花鎮めの儀も世に秘して執り行うべきだろう。
とは言いつつも例年一人寂しくやって来たので、別段いつもと変わりは無い。
---水底の影引き連れて渡り行く 蝶の彼岸は薄紅浄土---
(古伊万里蝶図大鉢 江戸〜明治時代)
禅宗の法要時には蝶の絵に夢の字の軸を掛ける慣いがある。
西洋にも戦死した兵士の魂が蝶になって故郷に帰る伝説がある。
戦後平穏を取り戻した故郷の花野に魂の蝶が乱舞するビジョンは、英雄叙事詩のラストシーンのようで実に隠者好みだ。
そんな蝶こそ花鎮めの儀の正客にふさわしく思う。
---春愁の廃墟の野辺を陽が浄め 鎮魂の蝶舞ふに音無く---
(金銅観音像 隋時代 蝶形ブラストレイ イギリス19世紀)
散り行く花の精達を慰めようと、古代仏を花野に持ち出して蝶に乗せてみた。
千数百歳の古仏が童子のように楽しそうに見える。
いつかドローンに乗せて飛ばすと、もっと喜んでくれるかも知れない。
俗世では所詮詩人画人など不要不急の物と自棄に陥りがちだが、可憐なシジミ蝶がふらふら翔んで来て蝶もまた世には不要なれども美しく生きていると示してくれた。
今日一日誰にも会わず誰とも話さず、花鎮めは図らずも沈黙の儀となった。
訪れてくれたこの小さな客もまた沈黙を守り、正に鎮魂の蝶と言うべきだろう。
観光客も激減して静かな鎌倉の花時は誰も気に留めぬうちにひっそりと終り、一面に散り敷いた花屑もすでに跡形も無い。
世捨人にもこうして憂愁の春は過ぎ行き、先に待つ憂国の夏の覚悟も出来ている。
---街中にあれほど散りし花屑の 誰知らぬ間に消ゆる理(ことわり)---
©️甲士三郎