鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

92 絶滅の文人画

2019-06-06 17:01:05 | 日記

(大雅の夢の庵)
私は画技文筆業で細々と糊口を凌いでいるが、昔風に文人墨客と呼べば少しは偉そうに思える。
文人画と言うジャンルが今ではすっかり廃れてしまった理由は、文学も美術も専門化が行き過ぎて全人的な素養のある人が激減したためだろう。
古来からの四書五経に始まり詩書画三絶とかの精神や人格の養成よりも、受験科目や就活目的の実学を優先するのは現代ではやむを得ない。
今や美術史の学究であっても、漢詩や俳句が詠める者など皆無なのだから仕方ない。
さらには世間一般では東洋画を西欧の造形美術と同じ概念で捉えてしまうので、その真髄から遠ざかる一方なのは当然だ。


(松笹鹿鶴古染付八寸皿 中国明時代 探神院蔵)
誤解を恐れずに言えば文人画は神仙境に至る手引であり、画賛詩の方も楽園紀行の様な物で西欧の風景画や芸術概念とは全く違う。
古の文人達の愛蔵したこの古染付皿の絵は、気韻生動を旨とする東洋の精神文化の一つの到達点だろう。
蔓の絡まる異形の老松に鹿と笹の脇侍は三尊仏を思わせる構図で、霊気渦巻く上空の天蓋の位置に祝福の飛天のように鶴が舞う。
仏画や南画文人画を見慣れていない人でも、この樹の超俗性は感じられるだろう。
折々にこの絵を眺めていると、つくづく私もこんな天地に生きたいと思う。
ここなら良い詩画がどんどん書けそうだ。
この絵皿の唯一の欠点は、神聖過ぎて食事に使えない所だ。


(蕪村の胸中の楽土 )
大雅や蕪村達の文人画もその辺を理解してから見ると、一般の芸術絵画より遥かに崇高なアーティファクト(聖遺物)に思えてくる。
文人画は当時最高の教養人達の胸中にしか存在しない天霊地気に溢れる理想郷に、俗世を逃れて暮らそうと言う宗教的掲示だと思えば良い
一般人には読めない韻文詩と独特のデフォルメで簡略化記号化された図像による、俗人お断りの秘密の楽土仙境への案内図だ。
文人画山水画もつまるところ美しい自然の中でゆったり暮したい、ハイキングや釣りを楽しもうと言っているわけで、今のハウジング雑誌アウトドア雑誌と似たようなものだと思えば親しみが持てるだろう。
要はそこにスピリチュアルな物があるか無いかの差だ。

明治政府の文化政策は江戸時代までの伝統文化を蔑み、国家神道と道教仏教の分離政策で神仙思想は廃絶され同時に文人画も衰退したが、新年恒例の天皇の四方拝なんて道教思想以外の何物でもあり得ないだろうに………。
そんな訳で道教思想を廃絶したせいで山河草木から神気が消え去り、人から霊性が消え去ったのだ。

©️甲士三郎