鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

283 浄界の梅花書屋

2023-02-09 12:59:00 | 日記

我家の梅が咲くのはまだ少し先だが、谷戸の日当たりの良い場所の梅はだいぶ咲き出した。

梅は桜より一段と古風な趣きがあり、梅の咲く家は江戸時代の文人の草庵を想わせる。


古の文人達の理想の暮しは深山幽谷に隠棲して、花や古書画を飾り茶を喫し詩書画に耽る事だ。

そしてこの絵のような梅渓の書屋こそ江戸の文人教養人の欣求した清浄界だった。



(梅花書屋図部分 浦上春琴 江戸時代)

浄域と言えば中国人なら神仙境や桃源郷を想い浮かべるところを、日本では梅渓の幽居のイメージが定着していた。

清浄なる山中で超俗の精神生活を営むのが文人高士達の究極の目的で、彼等は職業人として詩書画の業績を高めるよりも、生活人として日常茶飯事の心境を深める事を優先していたようだ。

俗世で高名を得て多忙な日々を送るよりも、隠棲して高雅な人生を過ごすが楽しいに決まっている。


梅花書屋の画題は江戸から明治にかけて数多く描かれていて、市井の読書人も喜んでこの手の絵を飾り離俗隠棲を夢見ていたものだ。



(梅渓書屋 木内直秋 明治時代)

直秋は田能村直入の弟子で田能村竹田の孫弟子にあたる。

竹田の時代の梅花書屋よりもさらに幽境に遊ぶ感が強まっていて、より強く夢幻の浄界を描こうとした頃だ。

この後の昭和時代はあらゆる文化の大衆化により、文芸は現実的な私小説が流行り絵画は即物的リアリズムが主流となって行き、胸中の理想郷を描く山水画は徐々に廃れてしまう。


大正昭和初期には深山幽谷から田園田家の絵に人気が移る。



(田家早春図 林文塘 昭和初期)

この頃には文人的な理想郷のイメージに地方から上京して来た人々の望郷の思いなどが相まって、四季の田家の絵がかなり増えて来る。

隠者は夢幻界の住人だから当然古い時代のファンタジックな理想郷の方に憧れるが、この戦前昭和の田園の景でも現代の実景と比べれば余程美しいとは思う。

そして戦後に至ると理想も哲学も宗教性も捨てた、現実的で写真のような風景画に変わって来る。


文人達の心の故園を描いた梅花書屋の古画は、画中の世界へ移転し得る者に取っては奇跡の聖遺物だ。

これらの絵が伝える離俗高雅な暮しが、未来の日本人の夢の中にだけでも存続する事を祈ろう。


©️甲士三郎