鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

115 枯野の浄光

2019-11-14 13:46:35 | 日記
9月10月と雨や台風が多く花の咲き加減も良くなかったのが、11月は我が楽園にもようやく陽光が戻ってきた。
枯草に陽が当たった初冬の野には、乾いた明るさがある。
前に室町時代の枯淡の美意識の話をしたが、冷え枯れた野にこそ一筋の陽射しの恩恵は大きい。
この浄光にふさわしいBGMは荘厳極まるフォーレのレクイエム以外は無いだろう。


ひと昔に夢幻界の探索で重宝したのはクラシックカメラの上から覗くファインダーで、俗世を遮断できる暗枠と深淵だけにフォーカス出来るアーティファクトだ。
スマホの液晶では肉眼の視野に己れの手や物質界の不要な諸々が常に見えているので夢幻界に入り難く、私は今でもまともなファインダーのあるカメラしか使えない。
現実世界から小さな奇跡だけを切り離し、アウトフォーカスの混沌の中からゆっくりピントが合い光像が浮かび上がって来る、その過程が悦楽なのであって出来上がった作品はさほど重要ではない。
隠者は日々こんな感じで身辺の楽園の情景を楽しんでいる。


私も今のように散歩がてら気ままに詩画や写真を楽しめるようになるまで、結構時間がかかった。
未熟な頃は良い作品を作って社会に貢献したい、その為に作家が苦しむのは当たり前だと思っていたのだ。
昭和の教育は「全て世の為人の為」滅私奉公の精神が日本中に行き渡り、誤った武士道解釈から出た「戦死こそ武士の誉れ」「企業戦士」が常識だった。
しかし煎じ詰めれば「世の為人の為」も、全人類の共通の願いは楽園の建立だろう。
その為には隗より始めよで、まずは己れの楽園を創り出さなくてどうする。
まして芸術家はその手本を示すのが本来の使命だろう。
それを教えてくれたのが「森の生活」のヘンリー ソローやターシャ テューダーなどの暮し方だった。
そのお陰で私のそれまでの苦行は、己が楽園を具現化する為の術(すべ)に変わった。


この平凡な空地で上の二枚の写真を撮っている。
残念ながらほとんどの人はここを通り過ぎるだけで、恵みの浄光にも万象の神意にも興味がないのは不幸だ。
楽園は凡庸な眼には決して見えず強く想い描かないと具現化しないのだが、その一方で求める人には幾らでも小さな奇跡が見つかる所だ。
SNSのコメントや写真を見ていると、こういった事には我々の世代より今の若い人達の方が数段鋭敏なようで頼もしい。

©️甲士三郎