散歩や街をうろつく時に何を感じ何を楽しむのか人それぞれとは思うが、ただ運動の為だけと言う人はもう少し眼と心を動かす方が楽しみが深まるだろう。
要は身辺で起こっている小さな奇跡にいかに気付き感動できるかで、日々の幸福度が違ってくるのだ。
特に歳を取って物事にわくわくドキドキする事も少なくなれば、残生は衣食満ち足りた緩慢な死となりかねない。
中高年になってからでも、身の回りの物事に対する感受性や感応力は強化できる。
秋の夜長にはそんな思索に耽ってみよう。

---秋の灯を狭め陰らせ窓に這ふ 枯蔦模様富家を縛りて---
現代の都会暮しでは日本の伝統的な季節感は薄いが、自然や季節の感興は老若男女の差なく誰にも味わえ決して古びないものだ。
例えば季語の「秋の灯」は都市部でも十分味わい得る季節感だ。
肌寒くなって街や人家の灯りが暖かそうに見える事を言うが、そう言われても何も感じられない人もいるかも知れない。
そんな人はまず自分の淋しさをじっと受け止めてから周囲の家々の灯りを見渡せば、それぞれの家族の幸不幸までも感受できるだろう。
花鳥風月も認識する心の深さ次第で、千変万化する。

---秋の灯の途切れし闇に開く門---
若い優秀な詩人歌人達も歳と共に詩嚢がすり減ってくるのは不可避で、感応力を深化させないとやがて自己模倣の劣化スパイラルに陥る。
「芸術に完成は無い。いかに大きく未完であるかだ。」とは我が師奥村土牛の言葉だが、届きそうで届かない高みが見えていないと稚拙な未完に過ぎない。
私には日々の暮しの中での思索や感興を高め深めるしか手は無いだろう。
いつもながら句歌の出来は不言不語(いわずかたらず)、勝敗は兵家の常である。
©︎甲士三郎
要は身辺で起こっている小さな奇跡にいかに気付き感動できるかで、日々の幸福度が違ってくるのだ。
特に歳を取って物事にわくわくドキドキする事も少なくなれば、残生は衣食満ち足りた緩慢な死となりかねない。
中高年になってからでも、身の回りの物事に対する感受性や感応力は強化できる。
秋の夜長にはそんな思索に耽ってみよう。

---秋の灯を狭め陰らせ窓に這ふ 枯蔦模様富家を縛りて---
現代の都会暮しでは日本の伝統的な季節感は薄いが、自然や季節の感興は老若男女の差なく誰にも味わえ決して古びないものだ。
例えば季語の「秋の灯」は都市部でも十分味わい得る季節感だ。
肌寒くなって街や人家の灯りが暖かそうに見える事を言うが、そう言われても何も感じられない人もいるかも知れない。
そんな人はまず自分の淋しさをじっと受け止めてから周囲の家々の灯りを見渡せば、それぞれの家族の幸不幸までも感受できるだろう。
花鳥風月も認識する心の深さ次第で、千変万化する。

---秋の灯の途切れし闇に開く門---
若い優秀な詩人歌人達も歳と共に詩嚢がすり減ってくるのは不可避で、感応力を深化させないとやがて自己模倣の劣化スパイラルに陥る。
「芸術に完成は無い。いかに大きく未完であるかだ。」とは我が師奥村土牛の言葉だが、届きそうで届かない高みが見えていないと稚拙な未完に過ぎない。
私には日々の暮しの中での思索や感興を高め深めるしか手は無いだろう。
いつもながら句歌の出来は不言不語(いわずかたらず)、勝敗は兵家の常である。
©︎甲士三郎