台風後の秋麗の日、庭の蛾眉鳥も無事な姿を見せてくれた。
鳴き合わせの本場中国でも讃美されるように、蛾眉鳥の歌声は別格のうまさだ。
我が家に通う蛾眉鳥は数羽いて、それぞれ鳴き方が違う。
その一羽が晩夏には法師蝉の鳴き真似を覚えたのには感心した。
十月になり草の実や木の実が熟れてきて、他の小鳥達も収穫に勤しんでいる。

毎日庭の枝垂桜の天辺に来て鳴く蛾眉鳥。
秋の柔らかな陽射しに物の固有色と陰影が調和してくると、野外のスケッチやカメラ取材の意欲も出てくる。
私は日本画家なので陰影は重視していないが(前出、影無き世界)、写真方面では秋陽の描く陰影は好みだ。
元より隠者には春夏より秋冬の衰え行く光が似合うはずなのだ。

黄金色の秋陽が当るだけで、ただの空地にも世界の豊穣さが感じられる。
零れた草の実も鳥達の食餌になる。
一転して朽ちた石垣に這う野葡萄の写真は、前回話した新型カメラの42メガピクセルの画像だ。
若返って眼が再覚醒したような解像度と深い階調により打捨てられた古都の風情が出せたと思うが、ここのブログの写真は1メガが規定限度なので読者諸賢には1/42しか伝わらないのが残念。

止まる足掛りが無いためか、鳥にも食べられずに残っている。
調子に乗ってもう一枚、廃屋と隠者の写真。
この場面に木の実を啄ばむ鳥達の声を加えて見てもらえば、秋の廃都をうろつく隠者の感興が想像できるだろう。

こういった日々こそ私にとって人生の実りなのだが、一般的にはなかなか理解されない。
---朽ちてゆく物に木の実が当る音---
©️甲士三郎
鳴き合わせの本場中国でも讃美されるように、蛾眉鳥の歌声は別格のうまさだ。
我が家に通う蛾眉鳥は数羽いて、それぞれ鳴き方が違う。
その一羽が晩夏には法師蝉の鳴き真似を覚えたのには感心した。
十月になり草の実や木の実が熟れてきて、他の小鳥達も収穫に勤しんでいる。

毎日庭の枝垂桜の天辺に来て鳴く蛾眉鳥。
秋の柔らかな陽射しに物の固有色と陰影が調和してくると、野外のスケッチやカメラ取材の意欲も出てくる。
私は日本画家なので陰影は重視していないが(前出、影無き世界)、写真方面では秋陽の描く陰影は好みだ。
元より隠者には春夏より秋冬の衰え行く光が似合うはずなのだ。

黄金色の秋陽が当るだけで、ただの空地にも世界の豊穣さが感じられる。
零れた草の実も鳥達の食餌になる。
一転して朽ちた石垣に這う野葡萄の写真は、前回話した新型カメラの42メガピクセルの画像だ。
若返って眼が再覚醒したような解像度と深い階調により打捨てられた古都の風情が出せたと思うが、ここのブログの写真は1メガが規定限度なので読者諸賢には1/42しか伝わらないのが残念。

止まる足掛りが無いためか、鳥にも食べられずに残っている。
調子に乗ってもう一枚、廃屋と隠者の写真。
この場面に木の実を啄ばむ鳥達の声を加えて見てもらえば、秋の廃都をうろつく隠者の感興が想像できるだろう。

こういった日々こそ私にとって人生の実りなのだが、一般的にはなかなか理解されない。
---朽ちてゆく物に木の実が当る音---
©️甲士三郎