オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

医者や病院要らずの、地球の生命

2021-12-13 11:58:20 | 銀座の周旋屋

 

 週末から週明けも、あちこちの高齢者の世話で走り回っている。

 命令指示が無いとナニも出来ない高齢者世代には、的確で詳細で、それでいて解りやすい指示を出してやらなければ、ナニも出来ない。

 そういう哀れな世代だったと、今になって解ってる我々の世代がいるとすれば、間抜けにも、愕然とするだろう。

 テレビや新聞にしがみついて生きて来た。

 国家のオレオレ詐欺に、延々と騙されて生きて来た。

 義務教育が、旨く食べて貰うための飼育調教だったと気が付かないで老いた。

 それでも俺は放置は出来ないからと、走り回っている。

 あちこちで自分の子供らを手塩にかけて育てて来たのとは、ちょっと違ってる。

 人間という獣の本性を、真正面から見ている。

 そんな感じだな。

 

 忙しい中でも、キチンと歩き、登りして、傷めた膝の具合を治しつつある。

 すでに手摺や杖は必要がなくなって、階段の下りも行けるようになったが、まだまだ慎重にやっている。

 酒ばかり喰らってる阿呆どもには、解らんだろうよ。

 

 関白亭主に恐妻家だとか、マザコン・ファザコンだとか、同性だけでなく異性にもキチンと話が出来ない幼児な社会が拡がって、その鬱憤を別の場所で晴らしてるという、時間の無駄な大人社会は笑えもしない。

 言いたいことをキチンと何処でも自己主張できないのは、ガキな証拠で、上手く言葉に出来ない幼児とナニも変わらない会話いぜんの醜態。

 こういう連中の戯言が、芸術になったり、詩や映画になったり、そこで同感する者が多いと言う悲劇ではある。

 みみっち~喜怒哀楽だこと。

 売れてるんだと、さ。

 

 銀座では、どんなに大企業であろうとも、ネットやメディアで賞賛されていようとも、ミーハー田舎者相手の商売しか出来ず、孤立して哀しい日常を送ることになってしまってる飲食店やショップはあちこちにある。

 口頭で、人から人へとその真実や酷い実態が拡がって行き、あっという間にその素性が定着する。

 テレビやネットで人気者だなんてほざいておっても、現場では誰も見向きもしない、そんな惨めなのは多い。

 そこにノコノコ並んでるのは、オツムの軽いミーハーか、間抜けな情報難民、成金田舎者と相場は決まってる。

 それこそ客まで嘲笑されておる。

 商売を舐めたらあかんぜよ。

 

 この地球上で生まれ、この地球上で生きて来て、自然に身に着けてる自然免疫で治せない病に罹ったら、素直に終わりで良いと想っている。

 おなじ愚かな人間たちの作り出す怪しい予防ワクチンなど、要らない。

 そんなものに頼るくらいなら、山で遊び、海で遊び、遊び惚けて生きてる方が、はるかに愉しい。

 そういう簡単な話で、俺は生きている。

 

 スクラップ&ビルド、壊して作り直すのは、資本主義な世界の経済発展には欠かせない無駄だけども、予防医学もまたその一連の動きでしかなくって、要らぬ予防医学のおかげで、癌や難病、免疫異常という病が蔓延しているがな。

 ワクチンを打つから、次の感染症に罹る、その輪廻の輪に、従順な飼育豚の群れは嵌っている。

 

 もう、どうしようもない、哀れな惨状。

 

ワクチン強制で露呈した人類の脳

2021-12-10 10:36:45 | 新型コロナの嘘

 

 膝をやってしまって、山頂から眺める景色が低い、低すぎる。

 

 世界人類の、大メディア群による情報操作の極みでもある、新型コロナ騒動では、ほとんどの人類がワクチン接種に雪崩込み、その馬鹿さ加減が明るみになってしまってる。

 これで世界は国境を越えて、国家よりももっと大きな力に簡単に蹂躙されることが見えてしまった。

 新型コロナ騒動は、前段階の試作みたいなもんで、これから本題が始まって来る。

 すでにワクチン接種による副作用や殺人は、世界中で進んで行ってる。

 予防医学を利用した、人体の改造とロボット化は、どんどん進んで行ってるが、偏差値お受験競争という暗記社会にうつつを抜かして居った日本人などは、猿の調教よりも容易く煽動されて行ってるだろう。

 癌や難病と言われてるものの根本要員は、そこに行き着く。

 自由自在に、自然とともに生きている俺なんざ、ウルトラマンで言う所の胸の赤ランプが点滅を始めてる。

 さ~て、俺の今後はどうなるのか? 

 このまんまで終わる訳などあり得ない。

 

 若い頃から延々と、他人や社会に首を突っ込んで行っては、いろんな関わり合いを増やして生きていると、暇な時間というものがいっさい無くなって、自分の時間とは他人と一緒にいる時間、そんな感じになってしまってる。

 あちこちに女を作り子を産ませ、育てあげ、その爺婆まで面倒を見るようになると、善良なる庶民の単細胞な皆さんの何倍もの関わり合いが拡がっておって、四六時中、誰かの為に動いてる、そんなことになっている。

 生き方価値観のまったく異なる人たちの面倒も、笑って続けている。

 その哀れな結果は遠い昔から見えておったことなんだが、群れて安穏と暮らして来た報いが、老いた高齢者たちを襲っておるから、その介護があちこちで必要になってる。

 俺としては、最初から解っている愚かなことを続けて来た人たちだが、無視して見ないふりなど出来ない。

 どこの子供らも、善良なる庶民の皆様方の頑なに守ろうとしているたった一つのチンケな家庭よりも、みなアットホームに完成させてるのは、俺が最初からすべてに関わり合っているからだ。

 馬鹿呑気に、自意識過剰な妄想など持つ時間は無く、手のかかる子供や高齢者だらけになってる周囲を駆けずり回り、障害を負ってる身だと自覚するのは4日に一度の腹のパウチの交換時だけ。

 身と心を分離して生きてる現代人とは、その思考や行動の原理が違ってしまってる。

 いつも同じ、身と心はいつも一体、どっちかが優劣を競うこともなく、いつも一緒になって生きている。

 俺が目指した 人間はなぜ生きるのか? の答えの、完成形に近づいている。

 17の頃、悪さに飽いて大本山の禅寺で修行をし、出家するかと思い詰めて居った時、俺はやっぱり世俗でドロドロに汚れて擦り切れるまで生き、そこでナニがあっても変わらない自分を創ってみたいと想った形に、近づいている。

 自己満足と言えばこれ以上の自己満足はないだろう。

 これ以上のギャンブルも、無いだろう。

 自分の身も心も、想うがまんま、実験台にして生きて来た。

 間抜けな現代社会では、決して理解などされないだろうし、その笑いの意味すら解らないだろうよ。

 底抜けに明るい、大笑い。

 陰気な裏表などなく、自由自在で怖れるモノを持たない、こう生きる為に、63年の積み重ねが在る。

 ワイドショーや芸能ニュースなんざ、みみっち~連中の喜怒哀楽でしかなく、詩や小説でも描けない世界が在る。

 金の使い道が解らなくなって、オツムがイカレテしまってる財産家や資産家ばかりを大メディア群の報道で眺めていると、笑いも無いし、可哀相な奴らだとその貧相な行動原理に憐みすら感じる。

 高僧だの、法王だのと聞いても、糞の役にも立たないと言い放てる生き様が、在る。

 しょせんはその程度の成金守銭奴、貧しい人間だからこそ贅を尽くし支配を試みる、決して満たされないその隠した心の闇が、情けないやら醜いやら、感情の湧かない退屈な、人類の繰り広げている猿芝居だ。

 

 多忙を極めている毎日だが、前歯の差し歯がとれてしまって、笑うとホームレスの爺ィのような顔になってるので、今日は歯医者にも出掛けて来る。

 良い湯に浸かって、ぼんやりしたいもんだと思ってるから、週末は早起きして奥山を歩き、それからだろうな~、たっぷり浸かってくるわさ。


ナニが起きてもキッチリ生き切る

2021-12-06 10:01:19 | 身体障害者の登山と遠泳

 

 オストメイトになって、障害者手帳をもらっても生き延びた時は、入院から手術退院まで1カ月半、退院してから半年間の文字通りの生き地獄を過ごしながら売り上げも上げ、里山歩きから再開した登山は、小学生のハイキング集団にも悠々と追い抜かれておったもんだが、退院半年後には、2000mの頂上に戻った。

 すぐに太平洋の海にも泳ぎ出て、遠泳できることを確認した。

 まだ装具類は危ういものばかりだったが、それでも出来ることを確認できて、そこからまたゆっくりと鍛え上げて行けば良かった。

 1ヶ月ちょっと前に傷めた左膝の半月板と靱帯は、それに較べれば楽なもんで、まだまだ階段の下りが満足に出来ない足でも、なんとかビッコも小さなものになり、正常とは言い難いが、それでも痛みもなくなって、違和感と神経痛くらいになったから、この日曜日は里山に登って来た。

 空身で、登山靴ではなくスニーカーで、ポールの世話になりながら、一歩一歩、膝に神経を集中して、健康な人の3倍の時間をかけて、なんとか山頂までたどり着いた。

 下りが厄介だったが、もっと時間をかけてゆっくりと、慎重に降りてきたもんだった。

 生きてるうちは、ナニが起きても、時間がかかっても、格好が変でも、必ずや復帰してみせる、これは自営の商売で培った想いでもあり、自然と笑みがこぼれるような、楽しい登山だった。

 翌日でも違和感はなく、神経痛もなくなっていた。

 まだまだ油断は出来ないが、また毎週、山に登れそうだ。

 生きていて、自分に対する自信を失ったら、他人や社会になぞナニかをするなんて、おこがましい話だ。

 逆に同情されるようになったらお仕舞だろう。

 山頂から眺める景色は、里山ならではの下界の近さで興ざめしたが、それでも吸う空気は気持ちは良かった。

 焦ると台無しになる。

 ま~ま~、じっくりとやるわいな。

 

 師走だが、忙しいことこの上ない。

 裁判の強制執行直前まで説得しての退去完了や、あちこちの高齢者の世話、大きな売買後の各戸の立ち退きやら、事務仕事も重なってきておって、孤独死のないようにと、独り暮らしの老人宅も走り回っている。

 ひとつ仕事を終えても、酒を呑んで慰労会をやってる暇はなく、次から次へと続いているが、これが好きで生きてる訳だから、その途上で笑っている。

 

 メディアから流されてる甘ったれた連中の自画自賛や自意識過剰な話題など、屁を喰らえ! だな

 とっとと自分の生を全うして、擦り切れ果てて逝ってやるまでは、まだまだ動き回って生きてやるべよ。


寝ても覚めても、猿の惑星の珍事

2021-12-03 10:06:01 | 新型肺炎コロナ・ワクチン

 

 島国である日本が、人為的なコロナ騒動の最終変異と言うオミクロン株の被害が、世界でも一番少ないことに目立ってしまうのが今月の後半だろうか・・・。

 どのみち安っぽい詐欺には違いないが、世界人類が右往左往しておって、毒性も弱いのに、オロオロドキドキ、間抜けこの上ない。

 忘れられた島国だが、島国のおかげで国境が海で閉ざされて、感染症の流入は水際対策だけで防げてしまう。

 という筋書きだが、ことの発端は、いままで流行っていたインフルエンザの呼び名を変え、新しい感染症のように見せ、世界中の経済を止めてしまうために、ビッグテックと呼ばれてる大メディア群を使って人類を煽っただけのこと。

 キリスト教の教義が、その流布と煽動の根本には利用されている。

 武力による大きな世界戦争は核兵器使用まで行くからもはや起こせない、ならばメディアを使った洗脳と煽動だけで、経済を止めたり大儲けしたり、そんなお遊びに人類は翻弄されているだけのこと。

 その間に、世界の覇権と基軸通貨というモノを大転換しようと言う虚け話だ。

 面白い時代を生きてるようでもあるが、人類の醜さと間抜け面だけが、地球上では際立っている。

 翻弄されて、淘汰される側に生きている多くの人たちには、脚光が浴びせられる島国日本の、その後のことまでは考えが及ばないだろう。

 

 地球環境に優しい、公害を減らす、自然を汚さない・・・モノを作るという行為自体が、新しい汚染を生んでいる。

 こういう当たり前の議論がナニも無いまんまに、新しい商品や産業が素敵なモノのように喧伝され、誕生して行くが、そもそも地球や自然環境の為には、人類はナニも生まないこと、これ以上の良いことは無いのが正解だ。

 馬鹿馬鹿しいことだが、ソーラーパネルを作れば新しい公害や汚染を生み、電気自動車を作ればまた新しい公害と汚染を生み、キリの無い話をさも素晴らしいことのように喧伝している連中は、ただの猿だ。

 

 年中、あちこちで忙しく走り回っているのを見てかどうか、人づてに聞いてかどうか・・・なんかお手伝いできることがあればお手伝いします・・・という奇特な人もたまにいる。

 奇特だが、自意識過剰なフラフラした人が多くって、どんな相手とでも、常に公平に関わり合えるのか? というと、いろんな好き嫌いや価値観の相違に翻弄されやすい人ばかりだ。

 人間の世界のことには、ほとほと飽いている、ゼニカネに対する欲望がなくなってる、それでいて、キチンとナニにも拠らずに自営で稼ぎをたっぷり上げている者でなければ、フラフラするのが結論だ。

 あなたの生きている収入源・原資はどこから出ているの? 聞くと怪しいメディア関係だったりすることもあるし、自分独りも喰うに困ってる人だったり、扶養家族を自前で喰わしてる訳でもないのに偉そうなことを抜かしてるのも多いし、単に親や親族が金持ちだったり、投資や運用でひと儲けしただけのケチな奴らだったり、それで自意識が満足出来れば良いという、単細胞な猿ばかりがやってくる。

 ただのキレイごとだ。

 だから俺は自分の両手いっぱい以上は手を出さない。

 メンドウが増えるだけの話になる。

 去年も今年も上場企業の社長の退職金以上の稼ぎを本業であげているが、それも多くの扶養家族に消えて行くし、明日をも知れない自営業は、常にそれを使って皆の生活を維持させてやらなければいけないから、成金のように外見を着飾ったりはしないし、知恵を絞ってボケ老人のように貯えたりは決してしない。

 俺独りなら、なんとでもなるし、死ぬまで困ることも無いだろう。

 その上で、あちこちに首を突っ込んで行っては、自腹を切って色んなことを続けている。

 それが俺の生きてる責任でもある。

 キリスト教の原罪とはぜんぜん違う、楽しい責任という奴だ。

 

 膝をやってから1か月が経った。

 その間も安静にすることなく、縛り上げてサポーターして、あちこちの高齢者の介護に、旅に出たり、動き回っておったが、医者にはかからずに、だいぶん良くなってきた。

 自分の身体のことは、自分が一番に理解している。

 コロナごときで、フラフラ揺れるススキとは、生き方価値観がぜんぜんに違っている。

 これからは柔軟をして慣らして行くだけだ。

 山も歩いているが、まだ20キロ超えるザックを背負うのは避けている。

 空身で、2000m超える雪山に登るのは危険すぎる。

 本来ならばプールで泳ぐのが良いのだが、コロナのせいでそれも出来ないでおる。

 くだらない世の中社会だこと、腹立たしいのは言うまでもない。

 ま~、いろんな方法はあるから、工夫して笑って居る。

 いつ逝っても良い楽しい日々だから、のんびりやるっぺよ。