歩く時、左右に30センチ以上はみ出して歩く人たちを、みな逮捕して収監してしまう。
これではあっという間に拘置所や刑務所はいっぱいになって溢れ返ってしまい、にっちもさっちもいかなくなる。
新型コロナの馬鹿騒ぎでは、そんな間抜けな光景が世界中で拡がっている。
あんたら人類は、そこまでオツムが硬直し果ててしまったか??
テレビや新聞にコロナ専門家の顔して登場してる医者や院長やらのいる病院の医師や看護婦は、医療従事者とは呼べない財テクに守銭奴の集まりで、俺の見ている中では、ほとんどがコロナ太りで合コン飲み会酒池肉林、そんな奴らの為にことあるごとに・・・医療従事者の方々のおかげで!!・・・という台詞を言わされてる国民の馬鹿さ加減は、沸騰してるだろうよ。
視野を思い切り狭くする斜眼帯をつけた縦割り社会では、生きてる世界を限定して、わざわざ塀の中に閉じ籠って、ようやくに呼吸をしている大人たちが澄まして生きている。
そんな社会で、縦横無尽に、自由自在に動き回って生きてる人間は、ほとんどいなくなってしまってる。
俺は、そうだ。
セックス産業や風俗で、良いように玩具にされてる大人たちは、だいたいが昭和の古臭い陰湿な秘密主義で生きてる連中だと言う話は、昔から普通の笑い話になっている。
どうでも良いようなことを、必死に隠して生きてるからこそ、その卑屈な自意識が罠にひっかかっている。
自業自得の、笑い話。
どこぞの宗教の様に、集団で男女をくっつけて結婚式をあげたりしてるのと同じように、見合い結婚という、その後の人生まで縛り上げて拘束する婚姻が昔は普通だった。
いまの70代から上の世代は、そうやって国家に命を拘束されて生きて来た。
復興の名の元に、人口を増やす必要があった。
その後はロボットのように働かせ、大量生産に大量消費、そのまんま老いていった世代が高齢化している。
病院や医者のとこに身内の高齢者が出掛けるときには、俺はなるべく付き添って行くが、それは高齢者たちが医者の言うがまんまに従ってしまう性癖を知っているからだ。
文句も言うし、交渉もするし、指示だって俺が出している。
なんなら専門用語で喧嘩も出来る。
医者を神様のように信仰している間抜けな患者ばかりだから、調子こいてる阿呆が増えている。
まわりを見まわしてみれば解るだろう?
自分の尻も拭けない、自分のことすら自分で決断できない、哀れな高齢者ばかりが徘徊している。
管理社会の試み、街には防犯カメラと称する監視カメラが張り巡らされ、家に籠っておればテレビと新聞とネットだけが情報源、そこを狙って洗脳と煽動を続けておれば、AIロボットに管理しやすい単細胞人間社会の出来上がりだ。
俺のように10代ですでにそれに気が付いて、家を出て、親が居ても子は育つとほざきながら、親とは距離を置き、生計も早くから独立させて生きて来ると、親から離れたのが早かったのに、親の借金を肩代わりしてやり、最後は親の命の終わりまで面倒を見てやれるようになる。
ベタベタいつまでもくっ付いて、親孝行がどうたらこうたら抜かしてる間抜けに限って、後悔ばかりのどっちつかず、せっかく生まれてきたのに、お可哀相なことよ。
そんな俺のことを、身勝手な乱暴冷酷変人扱いしておったキツネやタヌキどもは、いまやグ〜の音も出なくなっているがよ、大笑いだ。
ということで、先週も車椅子を押したり世話に走り回って、昨日はまだまだ膝の調子がイマイチだったから、登り下りを斜めに右左、そんな山に出掛けていた。
氷点下の山は、歩きだしは凍えるようだったが、じきに汗をかいて来た。
斜めに登り、斜めに降りる、これを右と左、たくさん歩いてきたわいな。
登山靴も履き、ザックは無しの空身、丁寧に仕上げていってる。
今朝は別段、違和感も無い。
低い山で楽しくはないが、歩けるようになった実感は、ある。