オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

年末も年始もない、自営の周旋屋

2021-12-31 10:46:32 | 銀座の周旋屋

 

 クイズ番組や知識を競う番組、これでテレビの役割は終わっていることが解るだろう。

 知ってることがさも偉いこと、さも素晴らしい優秀なことというような間抜けな番組など、終わってるだろう。

 小型のパソコン1台あれば、そんな知識の暗記よりもはるかに豊富な情報は手に入る時代、優秀な人間とはナニか? 考え直す時期が来ている。

 偏差値暗記教育の最終章は、そんな滑稽な猿芝居。

 頭が良い? 小型のパソコンに取って代わられるような奴らが?? 大笑いだろう。

 毎日毎日あちらこちらで、多くの対人コミュニケーションを続けている周旋屋の方が、生きてる意味を知っている。

 AIロボットに管理されて生きるのか? AIロボットを使って上手に生きるのか? 

 ただね~、AIロボットを使いこなすには、人類の割り切れない性癖や身体のことも、よくよく経験として身に着けておかなければ、ナニも出来んだろう。

 

 山を舐めてはいかんとはよく言うが、雪山はもっと舐めてはいかん、そうして登山口に辿り着くまでは油断は禁物で、降りて来るまで停めておくにしても用心は完璧にしておかなければ無事には戻れない。

 これ、当たり前のことで、ネットの情報だけで騙されて、安易に雪山に向かうとエライ目に遭うんだぜ。

 公開されてる遭難・事故の情報なんて氷山の一角でしかなくって、毎年あちこちでエライ目に遭ってる現場に遭遇しているが、自業自得には違いない。

 別に人間はいつかは死ぬのだから、その死に方や大怪我の仕方はどうでもよくって、後悔だけはしないことだろう。

 

 財産と言うモノは、モノではなく、人だろうと言う人はいるが、その人が単なる飲み仲間や遊び仲間の程度であるなら、それも要らないものだと言い切れる。

 稼いだゼニカネで家や車や衣服や趣味をゴージャスにしてるだけならば、いずれそれは負債でしかなくなるのは別段珍しくもない当たり前の話だが、では人にゼニカネを使うと言っても、チンケな仲間内や不特定多数にばら撒いて自己満足してる卑しい間抜けならば、おなじことだ。

 メンドクサイ負債になるだけだ。

 

 金(ゴールド)でも、安い時に仕入れて、高い時に売れば、売り買いのレートが手数料分違っていても、簡単に利益は増えて行くし、それを繰り返していれば馬鹿にならないギャンブルではある。

 本当に稼ぐのは本業だから、そんなに慌てて神経質になることもなく、買ったら高値になるまで待てば良いだけだから、下がっても別段なんの感情も湧かない。

 これだけ頭デッカチな些少でチンケで惨めったらしい成金守銭奴が溢れ返ってくると、そういう笑えるギャンブルでも、儲かってしまう訳だ。

 これは俺がどうこうではなくって、皆さんがそういう場を作ってくれている、そんな笑い話だ。

 群れて動かず、群れて動く人間を見て、動く。

 自営の商売なんてそんな程度で、あとは習慣や風習には靡かず、常にモノゴトの根っこだけ押さえておけばたいして難しいものでもない。

 儲かっていたって、税金対策なんてたいして考えず、余計なモノは増やさない。

 笑いの絶えない日常の為に、生きてるようなもんだ。

 俺の関わってる高齢者たちは、みな同じことを言う・・・あんたのおかげでよく笑うようになったよ・・・

 病はそれだけでも、治ってしまうもんだ。

 

 儲けているから、俺のような動きができるのであって、普通は見て見ないフリしか出来ない、そんなことをよく言われるが、あんたらが呑気に与えられた仕事をこなして終わって酒浸りになってる時でも、延々と仕事を続けているからこそ、いまでも儲かっている、そういうことだ。

 金があればできる? そんな容易い猿の行動ではないぜよ。

 何十年もコツコツと続けていて、初めて出来ることだ。

 1時間や2時間で終わってしまう、20回くらいの連続で終わってしまう、ドラマや映画のような、そんな柔な話とはその土壌が別世界。

 すぐに答えを求める、すぐに答えを出そうとする、そんな安っぽい人間には、しょせんは無理なだけだ。

 

 今年はずっと考えていた田舎の両親の引っ越しと、無駄に大きな2世帯が同居していた家の売却、山の上にある先祖10何代の墓の始末と今後の取り決め、これらを完遂するために、春から動き回っていた。

 このコロナ禍で、田舎から東京のド真ん中へ、もの凄い逆風の中で、非難轟々の中で、キッチリと受入れ態勢を整えて、二人の生命の為に、コロナ自粛中に冷酷無比な極悪人と思われようとも、俺の信念を貫いてやった。

 邪魔をする者は容赦なく叩き切る、キレイごとをほざく奴は一族郎党地獄へ連れて行く、そんな夜叉になっていた。

 なんども1000キロの距離を日帰りしたり強行軍の繰り返しで、認知が酷くなって来た92歳の爺様のことを考えながら、87歳の婆様ともども、念入りに準備をしておいて、一気に連れて来た。

 納得する訳も無い話を、ボケた頭に丁寧になんども話し、新型コロナ下だということを逆手にとって、仕方無いな~という風に思わせて、事を運んだもんだった。

 直腸がんで認知の酷い爺様がいるから、二人の傍にはいつも俺独りでいるようにして、あとは仲の良いヨロズ事のプロ連中に東京から出向いてもらって動き回ってもらった。

 羽田空港に到着したら他の乗客とは別のルートまで用意しておき、誰もいない最短ルートで移動させ、引っ越し荷物が届くまでの3日間はホテルを予約してあった。

 広い2世帯が暮らしていた実家に置いて来た断捨離の出来なかった大量の家財類は、後日手をつける予定にして、二人の生活を優先した。

 段通りの通り、天候ですら読んで、梅雨時に上京させたときには、2度ほど疲労から死にかけたが、そこからまた持ち直して、いまでは毎週の体操にも出掛け、近所の商店や医者にはペンギン歩きで歩いて行っている。

 認知もコロリと消え失せて、笑顔の増えた日常に、二人は感謝の言葉を言うようにもなった。

 自分たちではナニも出来なかったことを痛感している。

 自意識の空回り、見栄とプライドとナニも出来ない虚無感の中で、狂うしか他になかったとも言える。

 説明など出来ない孤立無援のモノ凄い動きを、集中して、この1年でやったが、良かったという安堵だけが今はある。

 毎日、忙しい中でも暇さえあれば何度も楽しい会話をしに出掛けてやれるのも、銀座の店から歩いて10分もかからない住まいを用意してやったからだが、古くとも2DKの全室に一日中陽が当たるマンションは、暖かいし、掃除も楽だし、歩いて買い物に行ける生活は、笑いを取り戻すことに最適だった。

 俺を信用し、俺の傍にいるものはナニがあっても守り抜く、それであちこちに家族がいるようになっているが、賑やかに、笑って生きて居れば普通でなく変な形であろうとも、別になんの支障もない。

 身体障害者となっても、おなじ感覚で生きている。

 田舎の実家を相場よりも高く売却してやり、その金はリスクの少ない投資不動産で運用して住まいの費用に回すことまでやってやれたのは、儲けよりも食べて行く糧の一部として考えているからで、その道のプロだから出来た。

 生活設計まで先に言ってあった通りに現実のものとしてやると、なんの不安も無くなり、後は余生をゆっくり楽しむだけになり、これが認知の解消に役立ったとも言える。

 あとは、生きて笑っていてくれれば、それ以上はナニもいらない。

 余生の短い高齢者には、それでも冒険だったろうが、よく頑張ってくれたよ。

 正月4日には、その爺様が93歳になる。

 ・・・もう人生で最低の頭になっとるわい、思うように頭が動かんよ・・・笑って言うが、それだけ自分のペンギン具合が解っておれば、大丈夫。

 

 仕事も去年に続いて今年もバブルになっておって、すでに来季の為に動き始めている。

 本業で地べたを這い回って稼ぐ、そうして多くの人たちと関わり合って、笑顔を増やして行く。

 大きなことや見栄や虚飾などは興味なく、自分に出来ることだけを脇目もふらずにこなして行く。

 これで今年も1年が終わった。

 現代社会が抱えている難題とも言える身内の高齢者の問題と、断捨離や家の処分に墓仕舞い、そのすべてを独断独行で解決してやったとも言える。

 今日も身内だけに関わらず、あちこちの高齢者のところを走り回ってるが、自営には年末も正月も関係なく、普通に店を開けながら次の日になるだけだか、とりあえずは、締めておこうと思う。

 こうやって、人間は死んで逝ければ、ナニも後悔はなく、満足まんぞくということになる。