オストメイトになって、障害者手帳をもらっても生き延びた時は、入院から手術退院まで1カ月半、退院してから半年間の文字通りの生き地獄を過ごしながら売り上げも上げ、里山歩きから再開した登山は、小学生のハイキング集団にも悠々と追い抜かれておったもんだが、退院半年後には、2000mの頂上に戻った。
すぐに太平洋の海にも泳ぎ出て、遠泳できることを確認した。
まだ装具類は危ういものばかりだったが、それでも出来ることを確認できて、そこからまたゆっくりと鍛え上げて行けば良かった。
1ヶ月ちょっと前に傷めた左膝の半月板と靱帯は、それに較べれば楽なもんで、まだまだ階段の下りが満足に出来ない足でも、なんとかビッコも小さなものになり、正常とは言い難いが、それでも痛みもなくなって、違和感と神経痛くらいになったから、この日曜日は里山に登って来た。
空身で、登山靴ではなくスニーカーで、ポールの世話になりながら、一歩一歩、膝に神経を集中して、健康な人の3倍の時間をかけて、なんとか山頂までたどり着いた。
下りが厄介だったが、もっと時間をかけてゆっくりと、慎重に降りてきたもんだった。
生きてるうちは、ナニが起きても、時間がかかっても、格好が変でも、必ずや復帰してみせる、これは自営の商売で培った想いでもあり、自然と笑みがこぼれるような、楽しい登山だった。
翌日でも違和感はなく、神経痛もなくなっていた。
まだまだ油断は出来ないが、また毎週、山に登れそうだ。
生きていて、自分に対する自信を失ったら、他人や社会になぞナニかをするなんて、おこがましい話だ。
逆に同情されるようになったらお仕舞だろう。
山頂から眺める景色は、里山ならではの下界の近さで興ざめしたが、それでも吸う空気は気持ちは良かった。
焦ると台無しになる。
ま~ま~、じっくりとやるわいな。
師走だが、忙しいことこの上ない。
裁判の強制執行直前まで説得しての退去完了や、あちこちの高齢者の世話、大きな売買後の各戸の立ち退きやら、事務仕事も重なってきておって、孤独死のないようにと、独り暮らしの老人宅も走り回っている。
ひとつ仕事を終えても、酒を呑んで慰労会をやってる暇はなく、次から次へと続いているが、これが好きで生きてる訳だから、その途上で笑っている。
メディアから流されてる甘ったれた連中の自画自賛や自意識過剰な話題など、屁を喰らえ! だな
とっとと自分の生を全うして、擦り切れ果てて逝ってやるまでは、まだまだ動き回って生きてやるべよ。