子供が大人になってゆくとき、まず、その疑問も持たずに暮らしている日常の、喜怒哀楽の根拠、価値観をブチ壊すところから始めるのが、健康的な思春期だとも言える。
俺はそれを終えるのに、20代も半ばくらいまでかかった。
現代の洗脳教育はそのくらいに怖ろしく強靭なモノになっている。
ほとんどの大人たちは、根拠も意味も考えることなく、育ったまんまに身についた喜怒哀楽と価値観で、そのまんま退屈な生涯を終えて行く。
親や家や学校や教育や、国家からも、誕生とともに洗脳されてゆく価値観は、あんた自身が生きながらに身に付けた価値観ではない。
着せ替え人形の価値観。
そんなものを当たり前のような顔して着込んで、独りで果ても無い大海に漕ぎ出してゆけば、アッと言う間にあんたは遭難するか、群れに吸収される。
慌てて戻ってしまえば、元の木阿弥、そのまんま、その辺に仰山いる大人たちのように、退屈でダラダラと生きることを容認して終わってしまう。
自分の体質・性癖にあった日常を作り直すことを自分に正直に、というのだが、偉そうにそんなことをほざいてる大人のほとんどが、みな嘘つきで終わってる。
こんだけ忙しく儲けてる激務のなかでも、まったく利益にはつながらない、よろず無料相談にも出掛けて来る。
国家を相手に訴訟や戦いを挑んでる、剛腕弁護士を10何人も抱えている老舗の弁護士事務所の先生から、ちょっと話を聞いてやって欲しいという依頼があった。
・・・どうにも可哀相な話で、なんとかしてあげたいから・・・
つまりは無茶苦茶な想定外の獣の俺が首を突っ込むことで、ナニか違った局面になることを期待してるようでもあるが、そういうことがことのほか刺激的で好きな俺には、断る理由もない。
ヤクザの鉄砲玉のようだが、それで終わることはなく、逆に取り込んでこっちが利用することになる。
殴り合いの喧嘩をして仲良くなる、ガキの頃はそうだったが、いまではワザと喧嘩を吹っかけて、喰い尽くしてやる。
そういう遊びが大好きな、タチの悪いオジサンになってる。
だってさ、退屈だし、刺激もないし、みみっち~乱暴も嫌だし、この滑稽なコロナ教全盛の現代社会を愉しむには、そんなことくらいしか俺には残ってない。
山に登る時間も無く、海で泳ぐ時間もなく、ならば人間の社会でハリケーンにでもなるしかない。
子供がいて離婚するということは、過去と決別して新しい今日を生きるというような格好の良い話にはならない。
子供は過去にはなりようがなく、それを平然と過去だと抜かして振り返らない奴は、次の生もまた同じことを繰り返す、ただのド阿呆でしかない。
それは身勝手に自分だけを大事にするということではなく、ただの単細胞、幼稚な自意識だけで生きて居る。
こういう大人から生まれた子供らは、とっとと親を捨て、親から離れて生きて行くしかない。
俺の世代は戦後の高度経済成長下で、身勝手な生き恥を晒して居った親を捨て、とっとと離れて独立して叩き上げたのが多かった。
先祖も糞もあるかいな。
親孝行も爺婆孝行もあるかいな。
どいつもこいつも甘ったれた自分大事の単細胞。
善行やモラルや道徳というものは、その言い出しっぺが儲かるようになっておる。
巨人・大鵬・卵焼きは、読売が言い出した標語ではある。
世の中社会のことなんざ、すべてがそんな程度の詐欺でしかない。
オレオレ詐欺を笑う前に、コロナ教の布教に染まってる自分を笑うべきだ。
抱えてる、ややこしい案件が多すぎて、オツムの中の整理がつかないうちに、次の話が持ち上がってきている。
ミスは即こちらの大損害、謝って済む話ではないから、ピリピリと激辛飯を喰ってるような刺激満載。
さ、今日も早朝から気合を入れてさ、大笑いできるコミュニケーションの渦をグルグル回してやるっぺよ。