オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

ただの金儲けなら、簡単なことさ

2023-12-04 11:27:05 | 銀座の周旋屋

 

 

 長く続く古い寺社を二つ三つ、長い階段を上り下りして、合計3000段を超えるくらいは歩き回って来た。

 階段自体が右に傾いていたり、前のめりになっていたり、1000年近く鎮座ましましている寺社は、その山自体が蠢いて来ている。

 登山靴はいつも3足4足を、体調や山や天気や季節によって履き替えておって、新しいのを買ったので慣らしには兆度良い塩梅。

 重いザックをいつもは担いでいるが、それも無しで、それでも良い汗はたくさんかき、肺活運動にも良かった。

 出来るだけ自然に治す、風邪はこれが一番。

 ほとんど咳は出なくなって、冷え切った大気でも大丈夫になってる。

 

 1000年くらい続いている寺社には、敬意は払う。

 ただし俺も65年の生で、我欲を捨てて社会に関わり続けている訳だから、そんな寺社に同行者を連れて行っても、そこでは頼み事や願い事などは一切しないし、手をあげて、手をあわせて、おぅ! 神々の問答でもしようぜよ! てな感じだ。

 堕落した現代人が群れて身勝手な頼み事や願い事をしにやって来ている場所だが、維持するにはゼニカネはかかる、だから古い寺社も仕方なく聞きはするが、そこまで信を保って俗に汚れ果てて行くのは可哀想なもんだ。

 その供養と労いと重すぎる汚れを引き受けてやって、俺が高い山の頂きで天に還してやっている、そんな感じか。

 当社の神棚には過去1年を実直に過ごした古い神社の白紙のお札が入っているが、年始にそこへ俺が入ることになってる。

 これは近親者や身内の間では有名な戯れだ。

 俺自身は、俺が動かない限りはナニも始まらないと解っているし、自分のことは自分で解決して生きて居るから、貴方任せの頼み事や願い事などは一切無いから、あとは自分自身に常に問いかけるだけ。

 ・・・それでエエんか?

 生きていると色んなトラブルやアクシデントは常時起きるが、まずはすべてを自分で勉強して、専門家と称するインチキ野郎との闘いに備える。

 ナニからナニまで自分でやるしかない、自分以外に頼ることもない。

 だから神社や寺に出掛けて行っても、逆に邪魔なモノを担ぎ出しに行ってる感覚しかない。

 こういう参拝者は、そうはおらんだろうが、昔からそんなことだ。

 修業の行き届いている寺社の勤め人がいるならば、阿修羅のことは一目瞭然。

 そうでない不届き者には、感じるものも無いだろう。

 決して群れず、淡々と、あるかないかと気配も消して生きていると、何処に行っても地元のオッサン、古い寺社ならば闇にすら溶け込んで姿は消せる。

 間抜けなあの世なぞないが、いま生きている霊魂は存在するわさ。

 身体を持ち、その身体を離れる。

 

 小さな世界で助けあって生きておっても、その小さな世界では通用する常識やルールが他の世界で通用するとは限らない。

 生きて暮らしている世界が小さな世界のまんまだと、排他的な近親相姦なその立場が、他の地域では同じように除外され敵対視されてしまうのが、人間の世界の常だ。

 世界の何処へ行っても、日本の何処へ行っても、違和感なく溶け込んで行くには日常の生き方価値観を変えておかなければ難しいが、そうでなければ孤立して行き詰まる。

 小さな閉ざされた世界で生きて行くしかなくなれば、その閉じられた社会のルールで生きるしか他に方法はなくなり、それが大きな世界では犯罪や罪悪と見なされていても、そこで小さな世界を守る為に戦うしか他に術はない。

 経験の足りないお子ちゃまたちは、そこでムキになり、乱暴なことを始める訳だ。

 それが大きくなれば紛争・戦争となって、小さな世界同士の、相手を殲滅・全滅させるまで続く諍いとなる。

 自立できない弱い者どうしの、潰し合いはこうやって世界中で引き起こされる。

 利口な連中は、そんな排他的な宗教や日常や風習を見て、利用するだけ利用する。

 玩具にされているだけの、双方が共倒れして弱るだけのゼニカネ儲けの仕方ではある。

 

 むかしは、中央区議選に出るという同世代の新人候補を応援するために、選挙事務所の提供や応援をしてやったこともあるが、上手いこと当選してその後は国政選挙へと鞍替えしようとしていたが、イロイロあって挫折して、衆議院議員の政策秘書になっていたオヤジもいるが、島国の閉鎖的な村社会では、なかなか新しい風を受け入れる者は少ない。

 今では身体を壊しておとなしく自営をやっているよ。

 

 40歳過ぎて、家庭や子供がいるというのに、まだまだ親や爺婆の言うことを素直に聞いて、それを親孝行だと考えてノホホンと暮らしている間抜けな大人も多い。

 時代が変わる時、家の旧習や関わっていた宗教や集団や組織、人付き合いにしてもすべて選別して、子供や孫の代に邪魔になるモノはすべてカタを付けて置く、これを今はやっておかなければならない時だ。

 借金や負債や貸し借りも帳消しにしておく。

 先祖から続けている家の無意味なだけの習慣や風習を、無意味に子や孫に継がせる親や爺婆は、それこそ無意味に自分の子や孫の未来を封印しているようなものだ。

 自由自在に生きれる人間だけが、健康的で自然な生を謳歌出来る、これを忘れては駄目だし、それには自営でナニにも拠らない独立独歩、これしかない。

 俺が若い時分から考えていたことが、本当だ。

 目先の利益に動くことなく、ゼニカネに縛られない。

 数億円も儲かる話は幾らでもあるが、俺はワザとやらないで生きて居るが、それをやることによって自分自身の生き方・価値観を変える必要が出て来る訳で、ゼニカネよりも遥かに重い自分自身の為だ。

 ナニをどうやって儲けるか? ではなくて、儲けを捨ててナニをやらなかったか? 俺にはそれがキチンと出来ている。

 人殺しですら人殺しの理屈や理由はあるし、犯罪者でも一生懸命生きて居るという自負がある訳で、己の身勝手な主義主張なんてナントでもなるが、ナントでもならない自らに課した厳しい生き様が出来上がっている以上、嘘はつけない。

 死ぬまで続けることに唯一の意味があり、金儲けのためだけに自営を始めた訳ではない。

 不器用な話だが、争う双方から相談を受けても、どちらにもつかない毅然とした立ち位置、これを常に居場所として笑っている。

 自営の商売でもおなじこと。

 インチキはせず、近親者で丸儲けするくらいなら独りで丸儲けか、スッカラピン。

 イチカバチカでエエやんけ。

 そうして社会的な弱者となっている人たちに、良い悪いではなく使ってしまう。

 

 ほらほら、金(ゴールド)がぐんぐん上がって来ているぜよ。

 これは基軸通貨ドルの信頼喪失という致命的な動きだが、上がったり上がったりしながら、もっと遥か上を目指しているさ。