オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

AIロボットが乱暴な事件の黒幕

2023-05-10 10:39:11 | 銀座の周旋屋

 

 

 いま、日本中で、乱暴で強引な強盗事件が起きているが、面識の無いアカの他人とSNSやらで繋がって、犯行に及んでいるとは言うが、こういうことを粛々とやらしている黒幕は、AIロボットだったりする訳だ。

 電波を介して人間と会話するくらいは、すでにAIロボットの得意技になっている。

 AIに読まれてしまう人間社会、その単細胞さが俺には我慢ならない間抜けな平和ボケだが、事実ではある。

 冷酷で、問答無用で、経験の足りない人間の心理を巧みに操って、犯行を煽っているのは、おなじ人間ではなく、緻密にプログラミングされたAIロボットが、人間のフリをして共犯者を募って管理する。

 感情の起伏や変化すら、言葉や会話で読まれてしまう浅薄な現代人は、AIロボットにはカモでしかない。

 AIの開発スピードは凄まじく早く、すでに一般社会の日常にも、あちこちで入り込んで来ている。

 コロナ騒動の世界人類の狂った狂騒・右往左往も、おなじようなプログラムで動いていただろう。

 社会を崩壊させるのは、人間ではなく、AIロボットだったとは、気が付く頃には惨状となっているのかどうか、オモシロイ見物ではあるが、馬鹿馬鹿しい話だ。

 世界的に、AIの開発にブレーキをかけようと言いだしてる意味は、そんなことだ。

 人間の単純な仕事は、このままだとすべて奪われてしまう。

 AIロボットが一人の人間をメディアを使って陥れようとする、そこに識者だの専門家というAIロボットがコメントし、視聴者として同意を示す多くのコメントがAIロボットによって瞬時に投稿される、一丁あがり、だな。

 すでに新聞やテレビにネットの洗脳で、簡単に集団催眠にかかってしまう日本人なんか、チョロい猿の群れだと言われている。

 自分の意見は、右へならへ、まわりを見て同じ動きをすることが、素晴らしいことだとご褒美の餌に群がってる。

 どこまでが人間の責任で、AIが勝手に誤作動して動いてしまったとなれば、無法地帯と化すだろう。

 株や為替や商品市場での誤作動は裁かれても、コミュニケーションに由来する誤作動は、空を掴むようなもの。

 それをワザと仕掛けることも、簡単に出来る時代さ。

 そういう時代に、我々は生きて居るということだ。

 甘ったれて、携帯の画面ばかり見て呑気に暮らしてると、新聞・テレビばかり眺めて生きて来た高齢者たちと同じで、エライ目に遭うが、後悔は後の祭りと決まっている。

 いよいよ、対人の関わり合いは、相手に会って、目を見て確認して、話を始める、俺がずっとやってることさ。

 それ以外に、電話やFAXやメールや、SNSだの、画面や紙面だけでの付き合いは、その真偽を確認するなんて難しい世の中社会になっている。

 相手のことをよく知らない、そんな者同士がSNSで繋がって、大事件を起こす、オレオレ詐欺とおなじで、習慣化した日常の退屈な日々が、いつの間にか現代人の弱点を大きくしてしまってる。

 新聞やテレビやネットで情報を得るだけ、対人の関わり合いは避ける、コロナの自粛もそうだったが、これが根本にある。

 俺みたいに大事な話はこんなところではせず、毎日の直接対話だけ、で生きるべきだろうね。

 愛だの恋だのも、昔ながらの夜泣き蕎麦に戻ってしまうだろうよ。

 俺は、いまでも囁き合いで生きて居る。

 

 終活に動かれてる顧客が増えているということは、俺自身もおなじように老いを進めているということで、寂しいな~とは思うが、毎朝の阿呆みたいな朝立ちに付き合っていると、まだまだ現役、を実感して笑うしかない。

 そんな終活のための不動産資産売却が増えて来てるが、利益よりも、なんだかつまらない感じだ。

 だから毎週、厳しい登山と遠泳に明け暮れている訳だ。

 

 社会の良い悪いでは無くて、自分の良い悪いで生きているのは、これはガキの頃からの習性ではある。

 幼稚園を3回、小学校で6回、転園・転校をしていたら、行く先々で最初に仲良くなるのは、いつもクラスや地域社会のハグレ者たちからだった。

 差別されている子、障害を負ってる子、虐められっ子、知能の遅れた子、家に問題がある子、暴力的な子・・・そんな子たちと最初に仲良くなり、その地域の情報を得るのが恒例となっていた。

 取っ組み合いの喧嘩をして、仲良くなることもあったが、相手や取り巻く状況に合わせて動いてはいた。

 あくまでも、それは一方的な意見であって、逆の立場の者には違う意見があることも知っていた。

 全体を見る癖は、その頃に身についていた。

 まず、少数派の中に溶け込んで、そこで色んな意見を聞く、そこから多数派の中にユーモアを振りかざして溶け込んで行き、双方の懸け橋になる、そんなことをやっていたら、また次の転校になっていた。

 家の仕事の関係で、仕方の無いことだった。

 駅まで別れの見送りにやって来た友達たちが、動き出す電車に合わせてホームを走り出す、映画のようなシーンもあったが、窓から見える友達たちは、それまで口も聞かなかった険悪なあいだ柄だったのに、仲良く走ってる、それを笑って見ていた。

 1年も一緒にいられないだろう・・・だから毎日がとても濃い日になっていた。

 本当の刹那を生きる、そうして冷ややかな心持ちもその頃に身についてしまってた。

 俺は、独りで生きる、どんなに扶養家族が普通ではない数に増えていっても、根っこにはそれがある。

 銀座で周旋屋となって30年、おなじようなことばかりを続けている。

 居場所は固定されているが、相変わらずに飛び回っている。

 自分の両手の届く範囲で、人と人との間を、走り回っている。

 社会で言う良識や常識など持たない、独りで出来ない大きなことは決してしない。

 偉そうな演説やスピーチはせず、黙って日常を笑って生き、その積み重ねだけで自己主張を描いて行く。

 もう、65年になる。

 激しい毎日の連続で、身体はボロボロだが、まだ心臓は動いているよ。